劇的な大逆転が、世界の体操界に伝説を作った。男子個人総合に出場した日本のエース内村航平(27=コナミスポーツ)が、苦しみながらも連覇を達成。オレグ・ベルニャエフ(22=ウクライナ)を0・901点差で追った最終種目の鉄棒で完璧な演技。こだわり続けた着地の差で、09年から続く「世界王座」を守った。個人総合の連覇は72年ミュンヘン大会の加藤沢男氏以来44年ぶり。団体総合との2冠も獲得した。
得点表示を待つ内村は冷静だった。「完璧な鉄棒ができた。これなら負けてもいいと思った」。最終演技者ベルニャエフの得点が出る。「14・800」。奇跡的な大逆転。その表情に喜びがはじけた。「ただ良かった。うれしいというよりも、幸せです」。
世界選手権を含めて過去7回の世界一。床運動で飛びだし、じりじりと差を広げ、後半で圧勝するのが勝ちパターンだった。しかし、この日は追う展開。1種目を残して1点近い差は、絶望的に見えた。内村自身も「負けたかなと思った」。客席も王者の苦戦に息をのんだ。「いつも通りの演技をし、着地を止めよう」。勝敗を忘れ、集中して臨んだ最後の鉄棒。ピタリと着地を決めた瞬間は、いつもの「ドヤ顔」でなく、安堵(あんど)の顔だった。
「15・800」の高得点がベルニャエフの重圧になった。電光掲示板に示された金メダルに必要な得点は「14・900」。プレッシャーからか、車輪の足が乱れ、着地でも大きく1歩踏み出した。王者の無言の圧力が、22歳の演技にわずかな狂いを生じさせた。
加藤沢男氏以来、44年ぶりの連覇。「すごいことだと思う。世界大会で8連覇して、個人総合のレベルを引き上げられたと思う」と胸を張った。その体操界のレジェンドからの一言が、支えだった。北京五輪の直前、「世界一の練習をしなければ、世界一にはなれない」と言われ、練習嫌いを改め、真剣に量と質を求めた。「今も胸に刻んでいる」と内村。連覇は、偉大な先人への恩返しだった。
陸上のボルト、競泳のフェルプスと並び称されると「彼らは世界の誰もが知っているけれど、内村航平は知らない。体操をもっと広めたい」と言った。歴史に残る激闘に「見ていて面白かったはず。体操に興味を持ってもらえれば」。勝つだけではなく、いかに競技をメジャーにするか。力の源は、そこにあった。
団体予選、決勝を含めて全18演技。団体決勝を2種目だけに抑えたベルニャエフに比べ体力的にはハンディを負い、最後の鉄棒で「ぎっくり腰みたいになった」。歩くのもやっとで「疲れた。もう2度とやりたくない」と、五輪後の休養も示唆した。27歳にとって、あまりに過酷だった。
それでも、4年後の東京五輪に向けて「地元大会に出られるチャンスだし、ぜひ出たい」と言った。「個人総合はベルニャエフには勝てないので、種目を絞って出たい」。世界大会8連覇の偉業を果たした内村は疲労感の中に満足感をあふれさせた。【荻島弘一】
◆内村航平(うちむら・こうへい)1989年(昭64)1月3日、福岡県生まれ。3歳から両親が運営する「スポーツクラブ内村」で体操を始める。東京・東洋高から日体大に進学し、11年にコナミスポーツ入り。08年北京五輪では個人総合と団体で銀、12年ロンドン五輪では個人総合金、団体と種目別床運動で銀。15年、世界選手権個人総合で6連覇達成。家族は妻千穂さん(27)長女斗碧(とあ)ちゃん(3)次女千翠(ちあ)ちゃん(1)。162センチ、54キロ。
◆日本勢1日金メダル3個
04年アテネ大会の8月20日以来。最多は68年メキシコ大会10月26日の5個で、体操で中山彰規がつり輪、平行棒、鉄棒で1日に3個、床で加藤沢男、レスリングの宗村宗二が獲得。日本は第6日を終えて金6個で、前回大会の7個に早くもあと1に迫り、目標の金14個に光が見えてきた。