日本が団体初のメダルとなる銀メダルを獲得した。3連覇を狙う中国に対して粘りを見せたが、1-3で敗れた。
中国の壁は厚かった。第4試合第3ゲーム4-10。最後は吉村真晴(23=名古屋ダイハツ)がネットにかけて幕切れとなった。相手の個人金メダリスト馬龍が両手を広げておどける姿を横目に「小さい頃から夢にしていた舞台で、実際に戦うことができた。結果には満足していないですけど」。相手を追い詰めただけに、悔しさをにじませた。
絶対王者を苦しめた。1番手の丹羽孝希(21=明大)こそ落としたものの、2番手でシングルス銅メダルのエース水谷隼(27=ビーコン・ラボ)が世界ランキング3位の許キンに大逆転の初勝利。「彼には過去0勝12敗で、数多くの大きな舞台で負け続けてきて、五輪という最高の舞台でリベンジできた。今まで負けてきた分の借りを返せてスッキリしてます」。勢いに乗って、丹羽と吉村のダブルスでも第1ゲームを取った。だが逆転負けを喫すると、第5試合で待つ水谷までバトンをつなげなかった。それでも、過去にない善戦。丹羽は「何度かチャンスがあったが、それを生かすことができなかった。そこはすごく悔しい」と話した。
今年に入り、3人は中国に脅威を与えた。3月20日のクウェートオープン準々決勝で水谷が許キンに対して最終ゲーム10-4とマッチポイント。「あの時は不思議な気持ちでした。1度も勝ったことがない相手なので、勝ってしまっていいのだろうか?
という気持ちになった。弱かった。体が急に動かなくなりました」。そこから8連続失点し、3-4の大逆転負けしたが、水谷にとっては大きな手応えを感じた一戦だった。
翌週の同27日、カタールオープン1回戦では丹羽・吉村組が大金星を挙げた。馬龍・許キン組に3-2と接戦をものにした。吉村は「自分たちにもできるんだという自信になりました。でもまだ差はある。五輪までに(丹羽)孝希との連係はもっとよくなるはず」。3月上旬の世界選手権団体戦クアラルンプール大会決勝では敗れて銀メダルに終わったものの、中国を脅かす下地はあった。
個人、団体で初のメダルを獲得した水谷には、どうしても五輪のメダルを首にかけてあげたい人がいた。14年年6月18日に亡くなった祖父鈴木暁二さん(享年82)。水谷にとっては幼少期から自身を支えてくれた1人。会社を経営している祖父はユニホームのスポンサーになってくれたこともあった。12年ロンドン五輪は闘病中のため、現地で観戦してもらうことができなかった悔しさもある。14年1月には闘病中だった祖父に全日本選手権のベンチコーチをお願いしたほど。「卓球ができることを感謝すること、最後の1球まで諦めないことを教えられました」。5月には静岡・磐田市の実家に帰省し、墓前にメダルを持ち帰ることを誓った。ラケットケースの中にはいつも祖父の写真を入れている。小学生時代には卓球に必要な先を読む力を養うために、練習後には祖父のもとを訪れ、囲碁も教えられた。祖父の卓球への情熱は、水谷の心の中に今も生き続けている。
頂点こそ逃したが、表彰台では晴れやかな表情で銀メダルを受け取った。団体で初のメダル。女子とのアベックメダル獲得も達成した。最年少の丹羽は「もっと強くなって、今度は中国人(選手)に勝てるように頑張っていきたい」。そして水谷は「卓球界みんなの夢をかなえることができて本当にうれしい。このメダルが必ず東京五輪につながると信じている。この悔しさをバネにして、東京五輪では絶対優勝したい」と言った。4年後の金メダルは、もう夢ではない。