【西武金子功児】夜サイゼがご褒美、すき家は違う並2コをサラダセットで/ 連載39

西武の育成ドラフト4位ルーキーの金子功児内野手(20)が、次世代のスターを目指して汗を流しています。右肘の故障で出遅れるも、4月下旬に2軍戦デビュー。支配下登録を目指し、経験を積んでいます。休養となった松井稼頭央監督(48)の華やかなプレーに憧れながら、BC埼玉からのプロ入りで、名門PL学園で甲子園を経験した同監督とは対照的な経歴で西武に入団しました。端正な顔立ちで女性ファンからの人気も既に高い20歳の若獅子が、プロ入りまでの濃密な時間を語ってくれました。

プロ野球

◆金子功児(かねこ・こうじ)2003年(平15)9月2日、神奈川県生まれ。小学1年から野球を始め、中学時代は硬式の寒川リトルシニア所属。光明学園相模原では2年秋から主将を務め、3年夏の県大会は2回戦敗退。甲子園出場はなし。卒業後はBCリーグ・埼玉に入団。遊撃のレギュラーとなり、在籍2年でリーグ戦121試合出場、4本塁打、43打点、打率2割4分2厘。23年育成ドラフト4位で西武入り。176センチ、79キロ。右投げ左打ち。

西武新入団選手発表会であいさつ。色紙の目標は「首位打者」

西武新入団選手発表会であいさつ。色紙の目標は「首位打者」

NPBユニホーム「プロになったんだな」

――2軍戦に出場するなど着実に前進していますね

ちょっと出だしでけがしちゃって。遅れちゃったのはやっぱ悔しいですし、チャンスが少ない中で、(4月27日の)2軍戦に初めて出場したんですけど。結果残せなくて(4打数無安打)、やっぱり悔しいですね。

――ケガはどこを

新人合同自主トレの時にちょっと肘を痛めちゃって。で、3軍戦が始まってやっとリハビリ卒業みたいな感じでした。

――自然と力が入った部分があった

あったのかもしれないです。抑えようとは思ってたんですけども、あったのかもしれないですね。

――2軍には栗山選手など1軍経験がある選手が多くいますね

試合のベンチに入るだけでも、緊張感だったり、流れとか間近で見られるものなんで、勉強にはなりますね。

――緊張感は

ワンプレー、ワンプレーがやっぱり大事なんで。相手も強いんで、ほんと1つのミスで流れが大きく変わっちゃうみたいなところは、なんか2軍で見てて思いますね。だから、1軍行ったらもっとなのかって考えたら…すごいっすね。

――BC埼玉時代に対戦していたNPBの球団に入って感じることは

あんまり考えてないですね、試合の時は。でも、ふとなんか、あの時戦ってたチームのユニホーム着てやってるんだなっていう、(NPBのユニホームを)見てた方の立場だったんで、自分プロになったんだなって思う時はやっぱりあります。

――独立リーグ時代はNPBと試合する時は良いとこ見せてやろうと

そうですね。独立の時はもうどこで誰見てるかわからないんで。NPB行くためにやってたんで、とにかくなんか見せたいなと思ってました。

西武新人合同自主トレでダッシュ

西武新人合同自主トレでダッシュ

独立L「名前を聞いたことはあったけど」

――プロを意識したのはいつ頃ですか

(光明相模原で)高3の時にもう1人、光明相模原から独立に一緒に行った人(BC埼玉・町田)がいて。そっちがずっと注目されてて、キャッチャーなんですけど。なんか身近な人が、スカウトとかに見られてると、こんなにすぐ近くで見てるんだっていう。NPB、あんな遠かった存在が、こんな近くで見てるんだと思って。そこからですね。

――高校時代はプロから調査書が届いたことは

ベイスターズから調査書は来ましたね。

――独立以外の進路は考えていたのでしょうか

本文残り82% (5363文字/6565文字)

野球

黒須亮Ryo Kurosu

Tokyo

1998年5月、茨城県古河市出身。23年入社。古河三高から2浪の末、「おもしろそうだから」という理由で出願した立大文学部キリスト教学科に入学できた。ゼミは「キリスト教音楽論」。立大野球部ではDeNA中川颯投手が2学年上、楽天荘司康誠投手が同期。リーグ戦出場には遠く及ばなかったが、現在プロや社会人野球で活躍されている選手やマネジャーと過ごした4年間は貴重な時間だった。趣味は母がオペラ歌手だった影響から舞台観劇。また、幼少期からMLBが大好き。24年5月にドジャース大谷翔平投手と同じマットレスを購入するなど、とりあえず形から入る。