【金足農連載〈13〉】実るほど頭をたれる稲穂であり、摘まれても生える雑草だった

日刊スポーツの歴代担当記者が、金足農の思い出と魅力を語ります。初戦は7月8日(月)の午前10時、相手は第1シードのノースアジア大明桜に決まりました。いきなりの大一番から夏が始まります。

高校野球

判官びいきは不要

笹森文彦記者(1984年甲子園を取材)

私が金足農を取材したのは40年前、1984年(昭59)の甲子園大会です。当時は、東北支社の記者でした。

ベスト4まで勝ち上がり、準決勝で桑田真澄、清原和博のKKコンビを擁するPL学園(大阪)と対戦し、あと1歩のところまで苦しめました。

印象深いのは、選手たちが打席で「打つぞ ! 」と言わんばかりにバットを桑田に向けていたことです。

当時の長谷川寿主将が「どうせ負けるでしょうから、思いっきりやります。あっちはエリート。こっちは雑草軍団だし」と言っていたように、無名の県立高が気迫たっぷりに優勝候補に立ち向かっていきました。

のちに桑田も「すごい気迫を込めて、僕に、PLに向かってきた。気持ちで負けたらやられるという気がした」と振り返っています。

1984年8月20日、甲子園の準決勝で、金足農はPL学園・桑田に逆転2ランを浴びた

1984年8月20日、甲子園の準決勝で、金足農はPL学園・桑田に逆転2ランを浴びた

この気迫は、金足農の魅力ですね。普段から田んぼや畑を耕し、家畜の世話をして、泥にまみれながら学んでいることを誇りとし、雑草魂でエリート集団に向かっていく。これは準優勝した2018年(平30)も同じでした。

いま、いろいろ変わろうとしているそうですが、この気迫は残してほしいですね。

あと、PL学園に負けた後も忘れられません。選手たちは応援席だけではなく、バックネット裏の観客にも整列して一礼しました。異例の光景に、拍手が巻き起こっていたのを覚えています。

当時の嶋崎久美監督が「うちは『実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな』です。(強いと)錯覚してはいけない。常に謙虚に挑戦者として臨みます」と言っていましたが、それを実践する行動だったように思います。

84年8月、準決勝でPL学園に逆転負けし、一礼する金足農ナイン

84年8月、準決勝でPL学園に逆転負けし、一礼する金足農ナイン

本文残り72% (1964文字/2722文字)

編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。