鹿島学園・鈴木博識74歳の「野球ごっこ」…学生コーチに「今回、だれ5番にすっか」

茨城南東部の海沿いに面する鹿嶋市に、74歳の今も指揮を執る知将がいます。鹿島学園・鈴木博識監督。自身はプロ入りを拒否した末に青森商(81~85)、日大藤沢(87~95)、日大(96~09)の監督を歴任。日大では村田修一氏(43)、館山昌平氏(43)、今も現役の巨人長野久義外野手(39)らを育成しました。65歳の15年8月に鹿島学園の監督に就任すると、荒れ果てた野球部を改革し、21年夏に創部初の甲子園に出場しました。コーチを含めて指導歴は約40年。日々アップデートを欠かさない膨大な知識量で、選手の心をガッチリつかみます。

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■鹿島神宮駅からタクシーで約20分

東京駅から高速バスで2時間強。日本神話に登場する鹿島神宮の最寄り、JR鹿島神宮駅の駅舎は年季を感じる。駅周辺の道路は整備されていて、飲食店もまばらにある。

もとは「鹿島町」だったが、95年の市町村合併で「鹿嶋市」となった。

鹿島神宮駅からタクシーで約20分。飲食店やコンビニはおろか、街灯ひとつない高台に、創立35年を迎えた鹿島学園がある。校歌はやはり、鹿島神宮になぞらえて「緑豊かな神話の故郷」から始まる。

校舎の脇道を進むと、急勾配な139段の石段上から、人工芝のサッカー場が2面。その隣の黒土の野球場を見渡すことができる。

この全面土のグラウンドが、鈴木博識監督の本拠地だ。自宅は地元の栃木・小山。鹿嶋市内で単身赴任生活を送る。鹿嶋から見渡すことができる太平洋を連想させるような、鮮やかなブルーの自家用車で登場した。

「東京から意外と近いだろ? 地図だと鹿嶋って端っこにあるから遠く感じるんだよ。俺はもうね、鹿嶋を満喫してますよ。グルメがすごいんだよな。焼き肉屋、とんかつ屋、うなぎ屋…。本当にこの街はね、古いって言えば本当に古風な街で。最近過疎化が進んでるみたいだけど、なかなか良い街ですよ」

よく飲み、よく食べる。病気知らずの源。ちなみに鹿嶋の名物は、鹿島灘でとれる「鹿嶋たこ」だ。

■村田修一、館山昌平、長野久義

鈴木博識監督は日大監督時代、球界を代表する選手をプロに送り出した。

代表格は横浜(現DeNA)と巨人で通算360本塁打を記録した村田修一氏(現ロッテ1軍打撃コーチ)、ヤクルトで6度の2ケタ勝利の館山昌平氏、今もプレーを続ける巨人長野久義外野手だ。

村田氏は1シーズン8本塁打で、東都大学リーグトップタイの個人最多本塁打を樹立。鳴り物入りでプロ入りしたが、慢心は全くなかったという。

「あの村田修一だって、ドラフトが近くなってきたら、『監督、僕はプロで通用しますかね』って相談してきた。僕は『その気持ちがあれば大丈夫だ。あそこ(プロ)行って成長するんだっていう気持ちがあれば大丈夫だ』って言って。俺は大学NO・1のバッターだぞとか、そういうのはなかった」

館山氏は日大藤沢、日大と7年間指導した。代名詞のシンカーを常に磨き、わざわざ報告しに来たという。

「館山昌平なんかね、毎年あのシンカー、『監督、今年はこのバージョンです』って毎年俺に教えに来るんだから」

プロで活躍する選手の共通点を語る。

「問題はプロに入ってからどれだけ成長できるか。よく新人が2年目のジンクスで打てなくなったりするでしょ。研究されちゃうわけだよな。その研究を上回らないと、あの世界は長くいられないよ」

「あと、いろんなモノに対する対応力ってのを持ってますよね。首脳陣の指示に反発するんじゃなくて、絶対服従するんじゃなくて、『なぜ』っていうところを理解できていないと、活躍できないと思うんですよね」

■「野球ってのは何でもオッケーだ」

自身は選手時代、地元の進学校小山(栃木)でエースとして68年夏に甲子園出場した。阪急から指名を受けるも入団を拒否。日大でもエースとしてリーグ優勝、日本一を経験。三菱自動車川崎でもエース。だが、最後までプロには〝行かなかった〟。

「高校も作新(学院)に行きたかったけど、おやじが『作新いってモノになれば良いけどダメなら就職だぞ』って行かせてくれなくてね。大学の時もプロは考えたけど、活躍できるか怖くなるんだよね。当時の日大の監督に聞いたら『5、6勝はできるだろう。10勝はキツいぞ』って言われて、そこで僕は考えたんですよね」

教え子と自身のエピソードからも、プロ野球は大変な世界だと感じる。

そんな鈴木監督は65歳だった15年8月、鹿島学園のユニホームに袖を通した。そもそも09年春、日大の監督を退任後、再びユニホームを着るつもりはなかった。

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野球

黒須亮Ryo Kurosu

Tokyo

1998年5月、茨城県古河市出身。23年入社。古河三高から2浪の末、「おもしろそうだから」という理由で出願した立大文学部キリスト教学科に入学できた。ゼミは「キリスト教音楽論」。立大野球部ではDeNA中川颯投手が2学年上、楽天荘司康誠投手が同期。リーグ戦出場には遠く及ばなかったが、現在プロや社会人野球で活躍されている選手やマネジャーと過ごした4年間は貴重な時間だった。趣味は母がオペラ歌手だった影響から舞台観劇。また、幼少期からMLBが大好き。24年5月にドジャース大谷翔平投手と同じマットレスを購入するなど、とりあえず形から入る。