【金足農連載〈17 〉】1点に泣くな、1点で笑え!再建に挑んだ6年間を振り返る

金足農(秋田)が6年ぶりの甲子園出場を決めました。吉田輝星投手(オリックス)をエースに快進撃した2018年(平30)以降、苦しんだ期間を振り返ります。

高校野球

低迷、そして不祥事…

金足農の6年を振り返ってみたい。2018年(平30)に甲子園で準優勝してから、秋田県内でも上位に進めない年が続き、不祥事も起き…さまざまなことがあった。スコアは夏の秋田大会である。

◆2019年(令元)

・2回戦5-4雄物川

・3回戦5-8角館(延長13回タイブレーク)

※優勝は秋田中央

中泉一豊監督に出会ったのは、この年の11月29日だった。まだ金足農旋風の余韻が残っていた。

秋田県では県内全校の監督が集まって勉強や情報交換をする「監督会」を開いており、この場に招いてもらった。

私は当時、「イップス」をテーマに取材をしており、その内容を紹介したのだった。イップスとは、スポーツなどで意図と異なる動きをしてしまう現象で、悩み、苦しんでいる高校球児も多い。

講演台でマイクに向かって話しているうち、最前列の席で熱心にノートを取っている人物に気付いた。私の言葉のすべてを写しているのではないかと思うほど、勢いよくペンを走らせていた。

それが中泉監督だった。

6年ぶり7度目の甲子園出場を決め、選手たちと写真に収まる中泉監督(前列中央)

6年ぶり7度目の甲子園出場を決め、選手たちと写真に収まる中泉監督(前列中央)

講演が終わると、彼の方からあいさつに来てくれた。

「とても参考になりました。選手への声がけとか、なるほどと思うところがありました。早速、明日の練習から試してみようと思います」

私は正直に「驚きました」と伝えた。実績ある監督が、あれほど熱心に聴いてくれるとは思わなかった。まだ、準優勝の余韻にひたっていても無理からぬ時期だった。

中泉監督は言った。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。