【引退会見全文】みんなが由規にロマンを見て、復活を願い、家族の絆にグッときた
ヤクルト時代の2010年、当時日本人最速だった161キロをマークした独立リーグBC・埼玉の由規投手(34)が、今季限りでの引退を決断しました。速球派投手として絶大な人気を誇りながら右肩の故障に苦しみ、楽天、独立リーグ、台湾でもプレー。10月16日に埼玉県内で引退会見に臨み、時折目に涙を浮かべながら17年間の現役生活を振り返りました。全文をお届けします。
プロ野球
―引退を決断した今の思い
17年間という長きに渡ってこのプロ野球生活を送ってきて、ここ2年、3年はいつ辞めてもいい覚悟というのはあったんですけど。なかなか正直決断しきれなかったっていうのが正直な思いでして。
特に今年に関しては、シーズンの終盤8月に入ってから9月の最終戦までの間は、今日の試合が最後になるだろうと毎回思いながらしっかり準備を進めてきましたし、いつ辞めてもいいという思いでマウンドに上がっていたのは確かです。
いろんなきっかけだったり理由っていうのはあるんですけど、最後に決断した時には、先月ありがたいことに古巣のヤクルトスワローズから始球式というお話をいただきまして。
なんか、そこで投げた時にまた神宮のマウンドに上がって、1球ではあったんですけど投げ終わった後に、なんか自分の中でここで終わりにしてもいいかなという思いが強く込み上げてきて。
神宮で始まり、神宮で終わるのが一番きれいな形なんじゃないかなと思って、最後に決断しました。
―17年間の現役生活を振り返って
とにかく、けがの多いプロ生活だったなとは思うんですけど、ドラフト1位という最高の評価をいただいて、プロの世界に飛び込んで。若い頃にやっぱり活躍したとは思うんですけど、それ以降はなかなか目立った活躍はなく。
正直リハビリしてる時間だったりとか、思うようにいかないことの方が多かったんですけども。だからこそ1年でも長くやりたいっていう思いになったし、逆に言えば全部がうまくいきすぎてたら、もっと早く野球辞めてたんじゃないかなという風に自分では思ってました。
ヤクルトスワローズから始まり、その後地元の楽天ゴールデンイーグルスにもお世話になり、そして埼玉武蔵ヒートベアーズでもお世話になり。
自分では予期せぬことではあったんですけど、その後台湾の方でも楽天モンキーズからお声をかけていただいて。こんな経験なかなかみんなができるものじゃないなと思いながら17年間を駆け抜けてきましたけども、本当にこの引退を決断してからは、自分自身よくやったなと、やりきったなという風に思いましたし、何も悔いはない。
この17年間全てに本当に意味があった野球生活でしたし、なかなかこの17年間を一言でまとめるっていうのは難しいんですけど、本当によくやったなと自分を褒めてあげたいなと思います。
―現役生活の中で一番の思い出
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