【野球少年は手削りバット職人になった】八王子発「Gips」の物語/前編

21歳の手削りバット職人がいる。八王子リトルシニア出身の田中竜二さんは野球用品ブランド「Gips」から木製バットの製造、販売を始めた。「Gips」は2年前に22歳で亡くなった兄でグローブ職人の勇也さんが立ち上げた。「天才」と呼ばれた兄のグローブと同じ、選手の手になじむ1本を削り続ける。野球少年だった職人の「居場所」を紹介する。

その他野球

国内でも数人の

木製バット工場は富山県南砺市福光に5社が集中。全国シェアの4割が製造されている。5つの工場のうち、手削りの職人がいるのは1社だけ。大手メーカーのミズノ社の岐阜県養老工場、ゼット社の福井市越前工場などに在席するが、国内で合わせても数人だけ。ほとんどの工場が全工程を機械で製造している。例えば、ある会社の機械はバットの250カ所を採寸して入力。寸分狂わぬ木製バットを大量生産する。

それでもプロ野球選手のトップ選手が愛用するのは、職人が手削りしたバットで、手のフィット感やバランスを微調整しながら、基本となる1本を作り上げる。

先日、ミズノ社の公式YouTubeがプロ野球広島の菊池涼介と坂倉将吾が工場を訪問して、同社のバット削り職人・名和民夫氏と来季使うバットを打ち合わせする様子が紹介された。

素振りやティーバッティングで確認しながら、坂倉が依頼したのは「グリップをもう0.5ミリ削ってください」。ミリ単位よりさらに細かい感覚の世界だが、名和氏は0.1ミリ単位にも応える技術と気概で、選手に向き合う。

グリップに満足した坂倉は「ありがとうございます。もう1本、このグリップにソフトバンク近藤選手のヘッドの形でお願いできますか?」。妥協なきリクエストに、名和氏は再びバットを削り始めた。

今回主役の竜二さんにまだNPBの選手の顧客はない。それでも、「お客さんと話しながら、形を確認しながら一緒に1本を作り上げる。一番大事なことだし、どうしても手削りをやりたかたったんです」と、こだわりを説明する。

父の会社の一角を

八王子駅からバスで約25分。小川沿いの小道を経由して、住宅街を10分ほど歩くと、目的地の田中産業に到着した。同社は田中兄弟の父友房さんが経営して、防護壁や防球ネットの施工を手掛ける。その一角に工房がある。1階部分で竜二さんがバットを製造。壁1面とラックに、販売用とサンプル用を合わせて100本以上の木製バットがつるされ、作業台や削り台が置かれている。勇也さんの生前はグローブ用の革の倉庫だった。

2階は勇也さんの工房で、今もグローブ縫製用のミシンや裁断機、形を整える機械などが置かれている。

工房には竜二さんが製作したバットが展示されている

工房には竜二さんが製作したバットが展示されている

日体荏原(東京)を卒業した勇也さんは、奈良県のグローブメーカー「ATOMS」に入社した。グローブの製造現場は通常、分業で行われる。同社は裁断、縫製、組み立て(ひも通し)と、すべての作業を1人で行う。勤続10年で一人前の職人として独立を勧める社風の中、勇也さんは3年目に副工場長を任されるほど急成長。社内で2人しかいなかった製作品へのオリジナル刻印が許され、小指の部分に「made by braver」と印された。勇也の「勇」にちなんだ「braver」だった。

「天才」と呼ばれるほどの作業のスピード感とともに、すべてが異例の早さだった。最低でも5年は必要とされた修行期間。なのに、3年目の終わりごろには八王子に戻り、工房をオープンして「Gips」のグローブ製造を本格的に開始した。

「Gips」のグローブを手に、工房でほほ笑む勇也さん(竜二さん提供)

「Gips」のグローブを手に、工房でほほ笑む勇也さん(竜二さん提供)

兄弟とも八王子シニア

2歳下の竜二さんは小2の時に、兄と同じ長房ジャガーズで学童野球を始めた。楽しく仲間たちとプレーしたが、中学ではより高いレベルを求めて、兄と同じ八王子シニアで硬式野球を始めた。球速100キロを超える投手だったが「投手は人数が多かったので、外野に逃げました(苦笑)。冬の打撃練習で使うよう命じられて竹バットを振ったが「最初は手がしびれてしょうがありませんでした。おびえながら打ってました」と振り返る。その効果なのか、身長167センチながらパワーのある打撃には自信を持っていた。

高校は八王子より東の日体荏原に進んだ兄とは逆方向の、神奈川県西部にある立花学園に進学した。初めて歩んだ別の道。3年の夏の甲子園はコロナ禍で中止になり、独自で行われた神奈川大会はベンチ入りが20人から25人に拡大された。25番を背負い「コロナ禍のおかげでベンチに入れました」と苦笑したが、チームは8強進出と健闘した。

2年生の春ごろ、木製のオーダーバットを作る機会があり「こんなに自分が求めている形になるんだ」と感激した。

野球部を引退して、進学と就職で迷うと、その時の感激がよみがえってきた。「兄がグローブなので、バットを作りたい」と思い始めた。重大な決意だったが、バットを選んだ理由に「僕は兄より不器用だから」と付け加えた。控えめな性格なのだが、不器用ではできない、バット作りの奥深さは後日知ることになる。

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編集委員

久我悟Satoru Kuga

Okayama

1967年生まれ、岡山県出身。1990年入社。
整理部を経て93年秋から芸能記者、98年秋から野球記者に。西武、メジャーリーグ、高校野球などを取材して、2005年に球団1年目の楽天の97敗を見届けたのを最後に芸能デスクに。
静岡支局長、文化社会部長を務め、最近は中学硬式野球の特集ページを編集している。