【あの日あの号外】勝新太郎さんの死から25年。コンプライアンスを超えた勝新語録

俳優の勝新太郎さんが亡くなったのは25年前の1997年6月21日の早朝のことだった。超ビッグスターの訃報に、編集局スタッフがスクランブル体制で号外を制作。午後には東京と札幌で4万部を配布した。その日は週末の土曜日。街行く人が驚いた顔で争うように新聞を受け取ってくれた。スマホが無く「ネットニュース」も無い時代。歩きながら世界の最新情報が手に入る現代では新聞号外は“記念品”的な位置づけになってしまったが……。翌朝の日刊スポーツは、もちろん勝新一色。6ページにわたり特集している。記者の追悼記事にも豪快さがしのばれ、パンツ発言をはじめコンプライアンスもへったくれもなく何ものにもこびない“名言集”は20世紀当時でもギリギリだった。こんな人、もう現れないんだろうなぁとシミジミ寂しい。(年齢、肩書き、表記、表現等は1997年新聞掲載時のまま)

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◆記者が勝新太郎さんを悼む(1997年6月22日付2面◆

1990年入社のインドア派編集者。見出しレイアウト畑が長く、私生活でも大げさな表現をしがちだったが近年は自重している。
ワンピース新聞、プリキュア新聞、名探偵コナン新聞、スターウォーズ新聞、キングダム新聞など個人的趣味を兼ねたサブカル新聞にも携わった。
日刊スポーツ・プレミアム初代編集長。