羽生善治が挑むA級返り咲き 藤井聡太の出現・・・あがきながらも求道者は前に進む

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タイトル通算99期を誇る棋士、羽生善治。これまでの歩みとA級返り咲きに挑む「今」に迫りました。

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将棋の国民栄誉賞棋士、羽生善治九段(51)が6月から始まる第81期順位戦B級1組に出場する。前年度までは名人への挑戦権を争うA級に、名人獲得通算9期も含めて29期連続で在籍してきた。いわば1部リーグから2部へと降級した。ちょうど入れ替わって藤井聡太5冠(19)が前期のB級1組から今期A級へと昇級した。A級返り咲き、名人復位を目指して、羽生の新たな戦いが始まる。

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盤に向かえば年齢、上下関係、過去の実績など関係ない。あるのは、「勝つ」か「負ける」かの現実だけ。それを覚悟、承知の上で、将棋や囲碁の棋士は戦っている。タイトル獲得通算99期(内訳は竜王7、名人9、王位18、王座24、棋王13、王将12、棋聖16)と歴代トップの羽生も同じだ。

3月に終了した第80期A級順位戦。渡辺明名人(38)への挑戦権を争う10人総当たりのリーグ戦は、2勝7敗で9位に終わった。成績下位2人が1クラス下のB級1組に降級という規約により、陥落が決まった。

前のめり気味に「出処進退」を問う報道陣に対し、競技者の羽生は年度末の3月31日に続投を宣言した。「全般的に内容も結果も伴わなかった。反省点の多い1年。これを糧に次の年度を迎えたい。(第81期順位戦の)開幕までにコンディションを整えて迎えられたらいいと思う」。

A級をトップに、B級1組→B級2組→C級1組→最下級のC級2組まで5クラスで構成される順位戦。プロサッカーJリーグが始まった1993年(平5)、将来の名人候補はA級に昇級した。以来29期、名人戦に関してはトップランナーであり続けた。

Jリーグで最初の年からずっとJ2落ちせず、J1に在籍し続けたのは鹿島と横浜Fだけ。サッカーとは違うかも知れないが、トップに居続けることの大変さの比較にはなるだろう。

93年に初めてA級へと上がってきた時、史上最年長の49歳で時の名人となった故米長邦雄元日本将棋連盟会長からはこう評されていた。「次に私の首を取りに来るのは、あの男」。米長の予測通り、94年の名人戦で初めて念願のタイトルを獲得した。

トップ棋士であると同時に、革命者でもあった。平成時代の訪れとともに、いち早くパソコンによる研究を導入。昭和の時代は、棋譜を取り寄せたら盤の上に駒を並べて勉強していた。

対局を解説する羽生善治九段(左)と藤井聡太竜王

対局を解説する羽生善治九段(左)と藤井聡太竜王

「それだと手間がかかりすぎます。パソコンに打ち込んで局面検索をかければ、すぐに取り出せますから」。合理化して分析した研究手順は、惜しげもなく著書「羽生の頭脳」で披露した。それが藤井をはじめ、棋士を目指した後輩やアマチュアの参考書にもなっていった。

誰もが「追いつけ追い越せ」と研究し、人工知能(AI)を導入することで、棋士の研究量は飛躍的にアップした。さらに、ここ10年の羽生は防衛戦に備えて研究の時間が十分に取れなかったこともあり、追われる立場から先行集団にのみ込まれ、次々とタイトルを奪われていった。4年前には、27年ぶりの無冠となった。

この前後から、羽生は苦慮している。

「最近の20代には強い棋士がたくさんいて研究熱心。自分が知らなかった戦術も編みだす。タイトル戦に出ることすら容易ではない。最先端の形を知っておくのが必要」

「AIの導入で過去に人間が指した手が見直されたり、真っ先に消していた手が脚光を浴びたりする。それも含めて研究するしかありません」

藤井聡太の出現は決定的だった。

「いずれタイトル戦に出てくる。ただ、私がそこにいるかは分かりませんが」。