【あの日あの紙面】鉄道150年 山口百恵「いい日旅立ち」と昭和53年という時代

日刊スポーツの1990年代の人気連載「歌っていいな」の中で、神回として社内で伝えられるのが「いい日旅立ち」の回でした。1978年(昭和53年)の国鉄キャンペーンソングの誕生秘話です。曲名に隠されている二つの会社名とは? 鉄道150年の2022年に復刻するのも何かの縁。歌は時代の鏡。後半部の企画では、昭和53年という時代を当時の新聞紙面で振り返ってみます。キャンディーズが解散した年です。

音楽

「いい日旅立ち」作詞・作曲 谷村新司

あゝ 日本のどこかに

私を待ってる人がいる

いい日旅立ち 夕焼けをさがしに

母の背中で聞いた歌を道連れに…

 今年は日本で最初の鉄道が開通して150年です。1872年(明治5年)10月14日に、東京・新橋と横浜間で開通しました。「汽笛一声(いっせい)新橋を…」で始まる「鉄道唱歌」は有名です。

 その後も鉄道にちなんだ歌は数多く発表されました。山口(現・三浦)百恵さん(63)が1978年(昭和53年)11月21日に発表した「いい日旅立ち」(作詞作曲・谷村新司)もその1曲です。国鉄(日本国有鉄道、現JR)のキャンペーンソングでした。百恵さんはこの作品で国民的な歌手の地位を不動にしました。

 「いい日旅立ち」が発売された1978年に、百恵さんは2月に「乙女座 宮」、5月に「プレイバックPart2」、8月に「絶体絶命」を発表しています。歌謡界大全盛の時代で、1年間に新曲を3、4曲出すのは当たり前でした。百恵さんはこの年、4枚の新曲を出しましたが、最後に発売した「いい日旅立ち」以外はすべて作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童のゴールデンコンビでした。

 阿木・宇崎コンビの作品を百恵さんが歌うのは「横須賀ストーリー」(1976年6月)から。それまでの〝早熟な女の子〟というイメージを、自我に目覚めた大人の女性へと変えました。

 「いい日旅立ち」の次作として、翌年の79年3月に「美・サイレント」、6月に「愛の嵐」、9月に「しなやかに歌って」を発表。すべて阿木・宇崎コンビの作品です。

 78年の第20回日本レコード大賞で、大賞候補となる金賞にノミネートされたのは「プレイバックPart2」。翌1979年の第21回で金賞にノミネートされたのは「しなやかに歌って」でした。ある意味、はざまの1曲となった「いい日旅立ち」は、候補になりませんでした。ところがレコード会社が狙った通り、百恵さんはこの「いい日旅立ち」で国民的歌手への道を切り開きました。

 1996年11月18日付の芸能面の連載「歌っていいな」で掲載した「いい日旅立ち」の秘話を、あらためて紹介します。

★曲名にスポンサー2社の社名が隠されている★

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