サポーターが導いた森保日本「ドーハの歓喜」 25年前にも青い戦士を救った曲がある

サッカーのW杯カタール大会で、日本が強豪のドイツとスペインを撃破して、決勝トーナメント(ベスト16)に進んだ。2試合とも日本中を歓喜の渦に巻き込んだ、劇的な逆転劇だった。選手を鼓舞し激励したのが、サポーターの熱烈な応援だった。

音楽

フランスへの道が絶たれる窮地

ドイツを、スペインを破った首都ドーハのハリファ国際スタジアムには、「チャント」(chant)が響き渡った。チャントとは「唱和」「詠唱」の意味で、チームを応援するフレーズを、スタジアムのサポーターがみんなで唱和することである。

中でも「オー、バモニッポン、ニッポン、ニッポン、ニッポン」というチャントが、まるでホームゲームようにハリファ国際スタジアムに響いた。日本代表応援歌「バモス日本」である。バモスとはスペイン語で「さあ、行こう!」という意味だ。

「バモス日本」は、カナダのロックグループMen without hatsが1987年に発表した「Pop Goes the World」が原曲である。「さあ、行こう!ニッポン、ニッポン…」とサポーターが大合唱を続けたことが、青い戦士を後押ししたのは間違いない。

W杯で、チャントが日本で注目されたのは、日本代表が初出場したフランス大会(98年)からと言われる。

エンタメ

笹森文彦Fumihiko Sasamori

Hokkaido

札幌市生まれ。早大第1文学部心理学科卒。1983年入社。
同年秋に東北6県を管轄する東北支社に配属され、仙台市に赴任。22年夏に高校野球で初の大旗の白河越えを果たした仙台育英(宮城)や金足農(秋田)、元マリナーズの佐々木主浩氏がいた東北福祉大などアマチュアスポーツを中心に取材。
87年から文化社会部で主に音楽担当。演歌・歌謡曲やアイドルだけでなく、井上陽水、矢沢永吉、松山千春、長渕剛、アリス、玉置浩二、稲垣潤一、中島みゆき、松任谷由実、高橋真梨子ら数多くのミュージシャンをインタビュー。90年のザ・ローリング・ストーンズ初来日公演を始め、ポール・マッカートニー、マイケル・ジャクソン、マドンナ、エリック・クラプトンら数々の日本公演を取材。初代ジャニーズ担当記者でもある。
93年から日本レコード大賞審査委員を務め、16年は審査委員長。テレビ朝日系「ワイド!スクランブル」「スーパーモーニング」、テレビ朝日系東北6県番組「るくなす」、福岡放送「めんたいワイド」などにコメンテーターとして出演。座右の銘は「鶏口牛後」。血液型A。