鮎川誠さんに東京行きを諭したシーナさん父の言葉 「シーナ&ロケッツ」誕生の原点か
ロックバンド、シーナ&ロケッツの鮎川誠(あゆかわ・まこと)さんが1月29日に、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。74歳だった。昨年5月にがんが見つかり闘病中だった。2月4日には『ロック葬』が都内で執り行われ、芸能関係者や一般弔問など合計4000人以上が参列した。
音楽
福岡にこだわり
実は昨年8月に、鮎川さんをインタビューしてほしいと音楽関係者から依頼を受けた。伝説的ロックバー「レッドシューズ」(東京・南青山)の創業40周年を記念した単行本「レッドシューズ40~ロックの迎賓館の40年~」(門野久志著、ぴあ刊)の発売と、その後に開催される記念ライブについての取材だった。同店にはローリング・ストーンズや、デヴィッド・ボウイ、ピンク・フロイドら国内外の数々のロックスターが来店した。鮎川さんも常連の1人で、同店の代名詞「ロックの迎賓館」の命名者だった。関係者を通じて何度かインタビューの交渉をしてもらったが、タイミングが合わず実現しなかった。今から思えば闘病中だったのだろうが、そういう釈明は1度もなかった。
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札幌市生まれ。早大第1文学部心理学科卒。1983年入社。
同年秋に東北6県を管轄する東北支社に配属され、仙台市に赴任。22年夏に高校野球で初の大旗の白河越えを果たした仙台育英(宮城)や金足農(秋田)、元マリナーズの佐々木主浩氏がいた東北福祉大などアマチュアスポーツを中心に取材。
87年から文化社会部で主に音楽担当。演歌・歌謡曲やアイドルだけでなく、井上陽水、矢沢永吉、松山千春、長渕剛、アリス、玉置浩二、稲垣潤一、中島みゆき、松任谷由実、高橋真梨子ら数多くのミュージシャンをインタビュー。90年のザ・ローリング・ストーンズ初来日公演を始め、ポール・マッカートニー、マイケル・ジャクソン、マドンナ、エリック・クラプトンら数々の日本公演を取材。初代ジャニーズ担当記者でもある。
93年から日本レコード大賞審査委員を務め、16年は審査委員長。テレビ朝日系「ワイド!スクランブル」「スーパーモーニング」、テレビ朝日系東北6県番組「るくなす」、福岡放送「めんたいワイド」などにコメンテーターとして出演。座右の銘は「鶏口牛後」。血液型A。