内山奈月、AKB48での攻めの姿勢とミーハーさ生かした企画力で「おもしろい」を追求
「アイドル」の長い歴史の中で、特に2010年代からは、05年12月に誕生したAKB48を筆頭にさまざまなアイドルグループが誕生し、「アイドル戦国時代」といわれた。
光り輝くステージで、きらびやかな衣装をまとって歌い踊るだけでなく、SNSなどの興隆も相まって、グループのストーリー性、人間ドラマが、多くの人の心をとらえてきた。
一方で、数え切れないほどのアイドルが誕生したことで、近年は「セカンドキャリア」にも注目が集まっている。芸能界で夢を追い続ける者もいれば、新たな目標に向かって別の世界に進む者もいる。「人生いろいろ」。Next Stageに立つ、いまに迫っていく。(文中敬称略)
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<アイドルのセカンドキャリア~内山奈月・後編~>
AKB48の14期生だった内山奈月(27)は現在、大手広告会社でコピーライターやアクティベーションプラナーとして、さまざまな企画に携わっている。アイドル時代に自然と培った精神や、何事にも興味を持つ持ち前の“ミーハー”さも兼ね備えて、誰かの「おもしろい」を追求している。
広告会社勤務「憲法アイドル」内山奈月「個性を持っていることが将来役に立つ」 前編はこちら>>
アナウンサーに興味
「憲法アイドル」として著書を発売するなど、個性を生かした活動を行っていた内山は、大学2年の時にグループを卒業。就職活動もスタートさせた。
「就活を始めたころは、フラットにいろいろな業界を見ていました。商社にインターンで行ってみたり、それこそアナウンサーにも興味があって、ABEMAの学生キャスターとしてバイトしたりもしたんですけど、自分とは違うなと。そもそも学生の頃は文化祭とかが好きだったし、AKB48での活動でも、例えば握手会のレーンの飾り付けをしてみたり、コンセプトを作ったり、企画っぽいことをやるのが好きだったということに気付いて、広告業界に興味を持ちました。実際、『元AKB』という経歴をおもしろがってくれた会社もありました」
大人数いるグループの中で、自己プロデュースも求められた。自然と身に付いていたことがあった。
「目立ってやろう精神みたいな部分は、今に結構いきていると思います! 企画を出す時も、周りとは違う案を持っていこうとか、みんなが案を持っていかないタイミングで持って行ったら目立つかなとか…。それはAKB48での経験がなかったらできていなかったかもしれないですし、例えばそういうことをしてうまくいかなかったらどうしようと考える人が多いと思うんですけど、私はもう『やったもん勝ち! 失敗したらしたらでその時だ!』みたいな(笑い)。コンペで選ばれなかった時にあまり凹まないとか…。攻めの姿勢や、精神的な部分はAKB48で教わったことが多いと思います」
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1983年5月、埼玉県生まれ。2007年に入社。広告部、メディア戦略本部(広告担当)をへて、13年11月から芸能記者(音楽担当)に。
AKB48グループやLDHなどを担当し、AKB48公式10年史「涙は句読点」、「LDH PERFECT NEWS」などの発行も担当。
22年12月から芸能デスク。元高校球児(捕手)で、現在もOBOGチームで活動し、19年の「マスターズ甲子園」で甲子園“初出場”。もっとも趣味は、サッカー観戦(浦和レッズ)。
X、インスタグラムともに「@nikkan_ohtomo」。血液型O。