世界に衝撃を与えたジョン・レノン射殺 珠玉の追悼文

日刊スポーツは1946年(昭21)3月6日に第1号を発刊してから、これまで約2万8000号もの新聞を発行しています。昭和、平成、そして令和と、それぞれの時代を数多くの記事や写真、そして見出しで報じてきました。日刊スポーツプレミアムでは「日刊スポーツ28000号の旅 ~新聞78年分全部読んでみた~」と題し、日刊スポーツが報じてきたさまざまな出来事を、ベテラン記者の解説とともにリバイバルします。

今回は事件です。今から43年前、1980年12月8日、元ビートルズのジョン・レノンがニューヨークの自宅アパート前で射殺されました。全世界に衝撃を与えた悲報を当時の日刊スポーツがどう報じたか、振り返ります。(内容は当時の報道に基づいています。紙面は東京本社最終版)

音楽

「トラ・トラ・トラ」からジョンの命日に

1964年生まれの私にとって、12月8日は「トラ・トラ・トラ」の日だった。

1941年に日本海軍がハワイの真珠湾奇襲に成功した日であり、日本が戦争に負ける始まりの日。私が子供のころは、12月8日が近づくと必ず、真珠湾攻撃を描いた日本映画がテレビで放送された。

しかし、16歳になってすぐの1980年12月8日以降、私の中で「12・8」はジョン・レノンの命日になった。

世界中に衝撃を与えたジョン・レノン射殺。現場となったマンハッタンの高級集合住宅「ダコタ・ハウス」は、瞬く間に世界一有名なアパートになった。私も、初めてニューヨークを訪れた時に「ダコタ・ハウス」の前まで行った。季節は春だったが、重厚な門構えがひどく寒々しく感じられたことを覚えている。

日刊スポーツは12月10日、1面を含め3ページを使って報じている。

事件については外国の報道を引用しているため、独自の情報は少ない。

日本国内の取材で出てきた情報で、「そうだったのか」と思ったのが、ジョンが翌年、日本でコンサートをやる予定だったという記事だった。

「スーパースターの日本公演に向けて、極秘のうちの準備を進めた。三月四日初日の東京・日本武道館公演五回と大阪を中心に、ヨーコ夫人の『広島、京都でもやりたい』との希望も入れて十回の全国公演を予定。あとはレノン側からのGOサインが出るの待つばかり」

ジョン・レノンの来日公演は1度きり。1966年にビートルズの一員として、日本武道館で5回行ったのが最初で最後だった。

ジョンが広島で「イマジン」を歌っていたら、今の世界は変わっていただろうか。

2003年に札幌で行われた追悼コンサート

2003年に札幌で行われた追悼コンサート

ロック評論家・渋谷陽一さんの珠玉の追悼文

ジョン・レノンへの追悼コメントは、ポール・マッカートニーを筆頭に世界中から寄せられた。日本でも、レノン夫妻と親交のあった音楽評論家の湯川れい子さん、カメラマンの篠山紀信さんらが取材に応じ、驚きとお悔やみを述べている。

異彩を放っていたのが、ロック評論家の渋谷陽一さんが「ロック界は一つ、また重い死を引き受けることになった」と書き出した寄稿文だ。以下、抜粋する。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。