【横井きな結〈下〉】姉から手渡されたバトン、初めての全日本選手権で感じた思い

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第37弾は横井きな結(19=中京大)が登場しています。シニアからジュニアに戻って臨んだ23-24年シーズンに、全日本ジュニア選手権で8位入賞。初出場となった同年の全日本選手権でも14位に食い込み、24-25年シーズンは初めて強化指定選手に選ばれるなど飛躍を続けています。

3回連載の最終回では、コロナ禍の学生生活、姉の現役引退で芽生えた覚悟、初めて出場した全日本選手権で感じた思いをひもときます。(敬称略)

フィギュア

◆横井きな結(よこい・きなゆ)2004年(平16)12月12日生まれ、愛知県名古屋市出身。4歳で競技を開始。南天白中1年時の2017年に全日本ノービス選手権(Aクラス)で銅メダルを獲得し、翌2018年のチャレンジカップで国際大会デビュー。同年にジュニアグランプリ(GP)シリーズ出場。中京大中京高-中京大と進み、大学1年時の2023年に全日本ジュニア選手権で8位入りし、同年末に全日本選手権初出場。2024-25年シーズンは自身初めて強化指定選手に選出。4学年上の姉は、2018年全日本ジュニア選手権優勝のゆは菜。身長157センチ。趣味はドラマ鑑賞。

コロナ禍の学生時代

2020年の春。

世界中では新型コロナウイルスが猛威をふるっていた。テレビでは、チャンネルを切り替えても「国内の累計感染者数」が大きく映し出される毎日。当たり前だった日常が、突然失われた。

中京大中京高に進学したばかりの横井も、未曽有の感染症に振り回された1人だった。

希望に満ちた新生活に水を差すかのように、入学式の翌日から休校。ようやく授業が始まったのは、梅雨の重たい雲が広がり始めた頃だった。

学生生活が再開しても出席番号が奇数、偶数の人で交互の登校となるなど、依然として不自由な毎日が続いた。席が前後の人がいなければ、50人近く収容できる教室はがらりとしていた。空気の隙間には、先を見通せない不安感が張り詰めているかのように感じられた。

中京大中京高の校内で写真に納まる横井きな結(左から2人目)(本人提供)

中京大中京高の校内で写真に納まる横井きな結(左から2人目)(本人提供)

モノクロの視界の中でスタートした高校生活に色を付けてくれたのは、自身を含めてクラスに2人だけだったスケート部のもう1人だった。

前年にジュニアグランプリ(GP)シリーズに初出場を果たし、銅メダルを獲得していた松生理乃。

中1の時の全日本ノービス選手権や野辺山合宿などで仲良くなって久しい間柄だったが、ともに学生生活を送るのはこれが初めてだった。

「たぶん、皆さんが見て感じるままだと思う。頭が良くて、しっかりしていて…。私はあまり勉強が得意な方ではないので、ずっと一緒にいたし、いつも頼っていました(笑い)」

松生は練習の都合で通学できない日も多かったが、その屈託のない笑顔を見るのが楽しみだった。

中京大中京高の同級生と写真に納まる横井きな結(1列目左から3人目)(本人提供)

中京大中京高の同級生と写真に納まる横井きな結(1列目左から3人目)(本人提供)

3年時には、京都両洋高から転向してきた幼なじみの河辺愛菜がクラスに加わった。コロナ禍で多くのイベントが中止となる中、最終学年の9月に行われた文化祭は、高校生活で最も楽しい記憶として刻まれている。

「何げない会話だったりが、すごく思い出に残っています」

仲間たちと衣装や振り付けについて話し合い、クラスでダンスを披露。協調することの楽しさをより深く知った。たわいない言葉に笑い合った。

「3年間、楽しくない日が1日もありませんでした」

浅田真央や安藤美姫ら日の丸を背負った先輩スケーターたちも通った伝統校。「学術とスポーツの真剣味の殿堂たれ」の学び舎での生活は、多幸感に包まれたかけがえのない宝物になった。

中京大中京高の同級生と写真に納まる横井きな結(1列目左から3人目)(本人提供)

中京大中京高の同級生と写真に納まる横井きな結(1列目左から3人目)(本人提供)

「全日本選手権に1度も出られずに終わってしまうかも…」

そんな学校生活の充実があったからこそ、リンクでの忍耐の日々から逃げ出さずにすんだのかもしれない。

高校1年の冬。また、試練が訪れた。

全日本ジュニア選手権が行われる青森県八戸市へ出発する2日前のことだった。

練習へ行くための準備中、髪を結ぼうと手を後ろへ回そうとした瞬間、首に鋭い痛みが走った。

「ホントにやばい痛みで、立っていられなくなりました」

ソファに横たわり「痛い!」「痛い!」ともん絶していると、母から「あんた何をしてるの。起きなさい」と促された。それでも、どうしても起き上がることができなかった。

ただならぬ状態であることを察した母に、連れられて向かった病院。診断は「環軸椎回旋亜脱臼」だった。7個の骨からなる首の骨の上から1番目と2番目がずれているということだった。

第一印象は「なんだ、このよくわからん長い名前は」。わかったのは、ただの寝違いや捻挫ではないということだけ。医師からは「1週間は絶対安静にしていなければいけない」と伝えられた。

「あさってから全日本ジュニアだよ?」。そう混乱する頭で考えを巡らせているところに、分厚いコルセットが手渡された。

青森までの4時間半。新幹線の揺れによる痛みに耐えられず、東京駅からはグランクラスに乗り換えるなどして乗り切った。

高1時に負った環軸椎回旋亜脱臼のエックス線写真(本人提供)

高1時に負った環軸椎回旋亜脱臼のエックス線写真(本人提供)

大会当日、ドクターやメディカルトレーナーからは、コーチづてに「やめておいたほうがいいんじゃないか」と辞退をすすめられた。それでも、「せっかくここまできたんだから、出たい」。痛みより思いの方が強かった。

絶対に無理だけはしないことを条件に、強行出場を決断。コルセットを巻いたままではと、衣装の色に合わせたスカーフの内側にスポンジを切ったものを巻き付けて首を固定した。

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市出身。小学生時代はレスリングで県大会連覇、ミニバスで全国大会出場も、中学以降は文化系のバンドマンに。
2021年入社。スポーツ部バトル担当で、新日本プロレスやRIZINなどを取材。
ツイッターは@kotakatsube。大好きな動物や温泉についても発信中。