【羽出山の新十両昇進会見全文】東村山市出身 志村けんさんにあかやる夢を語った

2025年1月の大相撲初場所の番付編成会議が11月27日、福岡市内で行われ、西幕下筆頭の羽出山(はつやま、25=玉ノ井)が、新十両に昇進することが決まりました。

羽出山は9月の秋場所で幕下優勝し、11月の九州場所は5勝2敗の好成績。同日に福岡・須恵町で行われた会見の全一問一答と、その後の囲み取材の一部の一問一答をお届けします。

大相撲

羽出山将(はつやま・しょう)本名同じ。1999年(平成11年)11月5日、東京・東村山市生まれ。

◆小中学校時代 仲良しの友だちが通っていた立川練成館で小学6年から相撲を始める。中学では道場での相撲と並行し、学校でバスケットボール部所属。小学校卒業時に170センチ、中学卒業時に188センチの長身でポジションはセンター。

◆高校、大学時代 相撲一筋となり東京・足立新田高2年時に全国高校総体3位。3年時に全国高校金沢大会優勝。東洋大4年時に東日本学生選手権3位。

◆大相撲 三段目100枚目格付け出しで2022年春場所初土俵。今年秋場所で初の各段優勝となる幕下V。

◆珍名 羽出山は全国で20人程度しかいない名字とされ「家族と親戚しか会ったことがない。ルーツは父の出身の福岡県らしい」。

◆家族 185センチの父、160センチの母、180センチの兄、173センチの姉と長身。

◆サイズ 193センチ、141キロ。

◆血液型 A。

新十両昇進を決め、師匠の玉ノ井親方(右)と満面の笑みで握手を交わした羽出山

新十両昇進を決め、師匠の玉ノ井親方(右)と満面の笑みで握手を交わした羽出山

「僕はずっと、阿炎関と一山本関の相撲を見てきた」

―新十両昇進おめでとうございます。今の気持ちは

羽出山とにかくうれしいです。

―表情が硬いので、分かりにくいが

羽出山いや、もう、めちゃくちゃうれしいです。

―昇進はどのような形で聞いた

羽出山今朝、親方(師匠の玉ノ井親方=元大関栃東)から、はい。

―家族にも連絡を

羽出山はい、しました。

―家族は何と

羽出山「おめでとう」と、はい。喜んでくれました。

新十両会見で真剣な表情で質問に答えた羽出山

新十両会見で真剣な表情で質問に答えた羽出山

―入門から2年半での昇進。どのような自己評価か

羽出山まあ、順調にきているのかなと思います。

―東洋大から三段目100枚目格付け出しデビュー。そこから1年幕下上位に上がったが、そこからの方が時間がかかったが

羽出山まあ、地力をつけるために、長い時間をかけて上がっていこうと思っていたので、別に早い、遅いは関係なく、最終的に上がれればいいかなと思っていたので、そんなに深くは考えていないです。

―今年の初場所は西幕下4枚目。腰のけがもあった

羽出山はい。

―チャンスを逃した形

羽出山相手がどうこうより、自分がもう全然ダメだったので。そこでちょっと悔しい思いをしたので。番付もだいぶ下げたんですよ。体をしっかりと鍛えて、もう1回、挑戦できるように、稽古に精進しました。

新十両会見に臨んだ羽出山

新十両会見に臨んだ羽出山

―2年半での昇進で、壁を感じたことは

羽出山そうですね。幕下上位に初めて入った時は、圧力とかも全然違って、ちょっと苦戦したんですけど、稽古を積んであまり壁を感じなくなりました。

―支えになったものは

羽出山いや、もう。とにかく上がりたい一心だったので。その気持ちでずっと稽古していました。

幕下優勝の羽出山(2024年9月22日撮影)

幕下優勝の羽出山(2024年9月22日撮影)

―きっかけの1つが、秋場所の幕下優勝だと思うが、振り返ると

羽出山そうですね。先場所、全勝優勝できたのが、だいぶ自信につながって、今場所も緊張せず、ノビノビと相撲を取れたのが、よかったのかなと思います。

―優勝できた理由は

羽出山まあ、しっかり稽古もしていたので。本当に1つのきっかけというか。ちょっとした意識で変わったのかなと思います。

―今場所前は師匠からも声をかけられたと思うが

羽出山そうですね。13日目の朝に親方から「頑張ってこい」と言われたので「優勝します」と答えて、優勝できたのでよかったです。

―今場所は5勝2敗。緊張はしなかった

羽出山そうですね。全然、緊張はしなかったですね。

―力を発揮できた

羽出山そうですね。結果的に5勝できたので。よかったです。

師匠の玉ノ井親方(右)と新十両会見に臨んだ羽出山

師匠の玉ノ井親方(右)と新十両会見に臨んだ羽出山

―一番相撲で十両欧勝海に敗れて黒星発進。精神的にもこたえたのか

羽出山いや、別に。「優勝がなくなったな」と思っただけなので。はい。また全部勝てばいいかなと思ったので、はい。

―その後、2敗目を喫したが

羽出山2敗目は、ちょうど給金相撲だったので、僕的には全然緊張せず、のびのびとできたと思っていたんですけど、周りの人からは「ちょっと硬くなっているぞ」みたいなことも言われたので。勝てば、というところだったので、自分が思っている以上に、体が緊張していたのかなと思います。

―師匠からアドバイスなどは

羽出山そうですね。「外に出て験直しに行ってこい」と。特別変えることはなく。ちょっと気持ちを、少しでもリラックスできるように、とそういったお声掛けをいただきました。

―どこが成長して十両昇進につながったと考えるか

羽出山まあ、稽古場の意識ですかね。親方からも下半身を徹底的に鍛えるように言われていて。自分自身も、足りない部分がいっぱいあったので、初心に戻って四股、すり足、てっぽうを徹底的にやったのがよかったんだと思います。

―どれぐらい増えた

羽出山どれぐらい…。うーん、どれぐらいですかね(笑い)。けっこう、やっ…。でも、まだまだ足りないんですけど。けっこうやったのかなと思います。

―師匠にも。部屋からは東白龍関以来の新十両。心境は

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。