僕は代表戦を見る時はいつも「JFA2005年宣言」を念頭に置いています。その中でも特に「JFAの約束2050」第2条の「FIFAワールドカップ(W杯)を日本で開催し、日本代表チームはその大会で優勝チームとなる」という部分は外せないものだと思っています。宣言通りでいくと、あと29年で日本代表はワールドカップで優勝するということです。この月日をどう考えるかは人それぞれではありますが、Jリーグの歴史で考えると100年に到達せずに優勝を目指すということになります。
そんなことを踏まえた上で25日の日韓戦を見ました。3-0という見事な勝利で誰もが拍手喝采だったのではないでしょうか。代表常連の選手から初出場の選手まで全員が「ひとつ」のコンセプトにのっとり戦う姿は本当に同じ日本人として誇らしく思えました。
その「ひとつ」というのは吉田麻也選手の試合前からのコメントから想像することができます。
「キャリアの中で一番大事な試合になるんだよということは意識してほしいと思っています」
それは技術や戦術を越えた「魂」ということだと思います。そう語っていた吉田選手は、コロナ対策により国内組とのコミュニケーションが難しいことをわかっていたので、あえてメディアを通しても同様の発言をしていました。
今回の日韓戦は今まで見てきた中でも非常に気持ちのこもった戦い方をしていたと思います。それを吉田選手はこういった表現でもメディアを通して国民にも伝えています。
「絶対に負けられない試合だと。時代にそぐわないかもしれないけど、足が折れても、とか、体が壊れてもぶつかっていかなければいけない、勝たなければいけないという表現はよくしていましたね。僕より下の世代にそういう表現で伝えるのは合っているかは分からないけれど」
科学が進み、たくさんの効率化されたトレーニングがあります。数値でコンディションを管理して、スピードや走行距離や強度なども全てそこに表れます。その結果、選手の特徴をより効果的に測定するテクノロジーがサッカー界に浸透してきています。これはもちろんとても大事なことです。
しかし、日韓戦はテクノロジーで測ることはできないと思います。特別な思いがある試合ほどデータをしのぐ情熱が必要です。パスの本数と情熱がイコールであればパスの本数を増やせばいいのですが、そういうわけにはいかないのがスポーツの面白さでもあります。
あと29年で日本は世界で一番の国になっている前提で今を見ていく必要があります。そう考えてこの日韓戦を見ると、少なくともこれが最低ラインの戦いになるのではないでしょうか。今日の試合を今日の結果として受け止めれば120点だと思います。しかし、日本サッカーが目指すのはあくまでも2050年のW杯優勝です。
それと同時に、「JFAの約束2050」の第1条では、「サッカーを愛する仲間=サッカーファミリーが1000万人になる」とも宣言しています。何をもってファミリーと呼ぶかはさておき、1000万人というのは相当な数字です。日本国民の12人に1人がファミリーということは、日本サッカーが国技になるようなものです。上っ面の結果で全てを語ったり、テクニックやスキル、戦術で全てを評価するのではなく、あと29年で世界一になる国として、そして国民の12人に1人がサッカーファミリーになる国として議論をしていく必要があると思っています。
今日の日韓戦のように「魂」の感じられる試合を全ての代表戦でできるかどうか、それが2050年宣言を果たせるかどうかにかかってくると思います。そして、これは間違いなく事実ですが、今いる選手が2050年宣言のピッチに立つことは不可能です。だからと言ってただ自分のために頑張るのではなく、吉田選手のように「継承する」思いが必要不可欠です。まだ生まれてもきていない未来の日本代表にも魂を受け継ぐには、まずは次の世代にその魂を継承し、それにさらに深さと幅を持たせてバトンをつないでいく必要があります。そう言う意味では五輪代表の試合も非常に興味深いものになりますね。
それと同時に、この試合をどれだけのJリーガーが見たでしょうか。受け継がなければいけないのは次世代だけではなく、日本のサッカーリーグのど真ん中でプレーをしているJリーガーだということをどれだけの選手が感じ取れたでしょうか。
日韓戦が教えてくれた「魂の叫び」を僕らは継承していくと同時に、これを当たり前にしなければなりません。素晴らしい結果だったからこそ、その結果に一喜一憂するのではなく、未来を見てこの試合をしっかりと感じ取り、サッカーファミリーとしてできることをしていきたいと思います。未来に残せる素晴らしい試合を見せてもらいました。「2050年宣言」をサッカーファミリーみんなで有言実行しましょう。(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)
◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結ぶも開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退した。同年12月には初の著書「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」(小学館)を出版。オンラインサロン「Team ABIKO」も開設した。175センチ、74キロ。