<サッカーaiコラム:選手権のHEROたち>
準決勝に進んだ山梨学院大付(山梨)FW佐野敬祐は愛知県出身。中学時代は名古屋グランパスの下部組織に所属していました。そのときのコーチが横森巧監督の教え子というつながりから、「山梨学院に来ないか」と誘われ山梨で高校時代を過ごすことに。佐野が遠く離れたこの場所への進学を決めたのには理由がありました。1つは「小さいころからテレビで見ていて、高校でサッカーをやる限りは出場してみたかった」という選手権への憧れ。もう1つは当時思春期の真っ只中、「親とは話すのもイヤで、試合を見に来てほしくなくて…高校は家から離れた寮のある学校にしたいと思っていました」と、親元を離れる決意を固めます。
入学当初はホームシックになったこともありましたが、同じクラスだったGK松田ランと授業中にケンカをし、メールで「ごめん」と仲直りをしたことをきっかけに、徐々に他の選手との距離も縮まり、寮生活に慣れたころにはホームシックも消え楽しい毎日を過ごしていました。
しかし、憧れの選手権出場のチャンスはなかなかやってきません。1、2年と惜しいところまで行きますが、3年生の最後の選手権予選を前に待っていたのは「自信がなかったわけではないけど、いつもギリギリのところでチャンスを逃していたから」という不安との戦い。県大会準決勝の韮崎戦は「3年生だから負けたら最後。相手は前評判がすごく高かった。この試合に引退がかかっていると思ったら…」と、今までの試合で一番の緊張感が襲い、前日は夜も眠れず、試合前は水を飲むのがやっと。しかし、その経験があったからこそ、全国大会では「本当にこれで最後だし楽しくやろう」と気負うことなくプレーすることができています。その気持ちが、1回戦の野洲戦の勝ち越しゴールにもつながりました。
この3年間で得たものは、選手権出場のチャンスだけではありません。入学当初はギクシャクしていた家族との仲も、離れたことによりその大切さを感じることができるように。「あんなにサッカーのことを言われるのがイヤだったのに、今ではスタメンを外れたときには自分からメールをするくらいになりました。そのときには『サッカーを楽しんで来い』と送り出してくれたし、選手権の前には『最後の大会だから頑張れ!』とメールをくれました。大会中にケガをしてしまったときには電話をくれて『最後だから無理をするなとは言わないけど、体も大事にして』と言われたときには泣きそうになって…。これまで応援してくれた分、家族にはサッカーで返してくれればいいと言われています。できれば優勝して両親を泣かせられたら」。
卒業後は地元の大学への進学が決まっています。「どんなに勝ってもこのメンバーで試合ができるのはあと2試合。でも実感は全然わかない」と、この仲間との時間が今はずっと続いてほしいと願う佐野。最後に、山梨学院大付に進学してよかったことは?
という質問に「選手権に出れて、しかも国立まで来れたこと。そしてみんなと仲良くなれたこと」とうれしそうに話してくれました。準決勝は初の国立の舞台。「さすがに緊張すると思います。入場の音楽が鳴る瞬間が緊張のピークになりそう(笑)。ここまで自信のある試合なんてなかった。準決勝だからといって特別なわけではない。これまでと同じように1試合1試合に勝っていくだけ」。この3年間の仲間、そして家族への想いを胸に、佐野は国立競技場のピッチに立ちます。(サッカーai編集部・阿部菜美子)