<サッカーai:山梨学院大付1-0青森山田>◇11日◇決勝◇国立
選手権優勝を果たした山梨学院大付。失点は初戦の野洲戦の2失点のみと、安定した守備で勝利をつかみ取りました。そのディフェンダー陣を支えたのがGK松田ランでした。
松田がGKを始めたのは小学6年生のとき。その後、中学時代はクラブチームでプレーしますが、全国大会に出るような強豪チームではなく、松田自身もそれほど熱心にサッカーがしたいとは考えていなかったと言います。山梨学院大付への進学を決めたのも、「試験を受けなくても、推薦で入学できるから」という理由から。しかし、そんな彼を選手権決勝の舞台に立つまでに選手として成長させたのは、チームメートの久保田大智の存在でした。
この3年間、ケガが多かったという松田。1年生の2月にあごを負傷し、しばらくして復帰しますが、再び今度は股関節を負傷。2年の夏から3年の春まで、復帰に半年以上もかかりました。松田の復帰直後は久保田が正GKとしてプレーしていましたが、すぐに立場が逆転。うれしいはずの松田ですが「その半年間久保田が誰よりも一番努力してきたことを僕は知っていました。だから、いくら何でも練習試合のたった1試合で僕が良かったからと言ってすぐにレギュラーに戻るのは早すぎると思った」と苦悩。「もし僕が久保田の立場だったら、サッカーを辞めていたと思う。だけど、あいつは絶対に練習で手を抜くことはしなかった。僕は真面目なタイプではないので、1人だったらここまで来ることはできなかったと思います」。
一方で久保田も、「僕がBチームにいたときも、ランは『今はBチームでも、手を抜かないで練習していれば必ずAチームに戻ってこれるから頑張れよ』と声をかけてくれました。それがなかったら、僕の方こそあきらめていたかも知れないです」と、同じ想いを抱えていました。
そんな強い絆で結ばれた2人が交わした約束。
「オレたちが最終学年のゴールなんだから、試合に出ているのは1人でも、2人で守ろう」。
松田はこの言葉を「自分は試合に出ているから言えるんじゃないか」と、苦しく思っていた時期があったと言います。しかし久保田は「どんなときもそうやって2人で励ましあってきました。僕は才能のあるGKではないから、人の2倍も3倍もやらないと、うまくならない。でもそれはランがいたから。1人なら余裕ぶってただ与えられた練習をこなすだけだったと思います。僕が成長できたのは、ランの存在が大きいです」と、そして最後に「最高の相棒です!」と教えてくれました。
山梨学院大付の勝利を告げる、最後のホイッスルが鳴ったあと、松田は久保田と抱き合い、その瞬間目からは涙があふれました。試合後、「優勝できてよかった。もうこれでサッカー辞めてもいいかなと思うくらいです」とホッとした表情を見せた松田。そして「最後まで2人でゴールを守りきることができました」と最高の笑顔。
卒業後はそれぞれ関東の大学に進学します。今度はライバルチームの守護神として、同じピッチに立つ日のために。2人はこれからも、山梨学院大付で過ごした3年間の経験を糧に努力を続けることでしょう。(サッカーai編集部・阿部菜美子)