<高校サッカー:山梨学院大付1-0青森山田>◇決勝◇11日◇国立

 初出場の山梨学院大付(山梨)が、全国3763校の頂点に立った。過去、韮崎を3回の準優勝に導いた横森巧監督(67)にとっては、4度目の正直となった。

 横森監督は3度宙を舞った。昨年11月の県大会優勝時には辞退した胴上げ。「冗談で『全国で』と言っていたら、まさか。うれしかった。生徒の一生懸命さをうれしく思う。生徒をほめたい」。韮崎を準優勝3回に導いた名将は、4度目の正直を素直に喜んだ。

 優勝の瞬間は腕を組み、喜びに浸る選手を見つめていた。そして、首をかしげた。「優勝ってなんだろうなと思ってね。終わってみれば、あっさりしたもの。でも、本当に欲しかった優勝なんです」。

 67歳にして初めてつかんだ選手権優勝。韮崎を準優勝に3度導いた時に比べ、目指すサッカーも、選手の質も変わった。でも「サッカーはプロを作るためじゃなく、人間を作るためのもの。自分を強くして、人に尽くせる人間になってもらえれば」という信念は今も同じ。そう思って、5年前、山梨学院大付サッカー部の強化を引き受けた。

 だが、グラウンドもなければ、寮もない。選手もいなかった。勧誘しても、断られることの方が多かった。当然だった。選手がいないから、戦術も決められない。それでも、「君らが入れば、それを決められる。強くするから」と、全国を歩き回って、1人1人口説いた。

 韮崎時代は、とにかくスパルタだったという。静岡での練習試合で大敗したある日、グラウンドから駅までの約10キロの罰走を課した。選手はヘロヘロ。でも後ろを振り向くと、横森監督が走っていた。「体を絞るためにね」とはぐらかすが、どこまでも付きあう情熱が選手を引きつけた。幅広い年齢層の教え子たちが、今大会の応援に駆け付けている。「会いには来ないけどね。酒のさかなにでもしてるんでしょう」と笑う。今は、細かい指導はコーチに任せ、一歩引いて孫ほどの選手たちを見守る。3年生からは「横森さん」「横さん」と呼ばれる関係だ。

 悲願の選手権優勝をつかんだが、まだ現場を離れられないようだ。「違った生徒がまた入ってくる。リセットしないと。それが成長する。その姿を見るのが楽しいからここまでやってこれたんですよ」と、これまでの人生を振り返るように言った。【今井恵太】

 ◆横森巧(よこもり・たくみ)。1942年(昭17年)7月27日、山梨県勝沼町(現甲州市勝沼町)生まれ。日川でサッカーを始め、日体大へ。68年に谷村工に赴任後からサッカーを指導。73年から韮崎を指揮し、75年にインターハイ制覇。14年間指揮した同校では、3回の準優勝を含め、5年連続の4強入りを果たす。89年から指導した韮崎工でも92年度大会で選手権初出場に導く。その後、同県サッカー協会理事長を務めながら、J2甲府の立ち上げにかかわり、昨年1月から山梨学院大付の監督に。61歳からゴルフを始め、ベストスコアは82。ドライバーは270ヤードも飛ばす。家族は、妻、娘、孫2人。