<高校サッカー:富山第一3-2星稜>◇決勝◇13日◇国立
最後の聖地で、富山第一が4166校の頂点に立った!
星稜(石川)との北陸対決を制し、初優勝を飾った。後半残り3分から2点差を追いつき、延長後半9分にMF村井和樹(3年)が決勝点。障害者団体との交流を通して磨いた「あきらめない心」で、北信越勢として高校サッカーの歴史に名を刻んだ。改築のため現在の国立競技場が舞台となるのは今回が最後で、次回決勝は埼玉スタジアムで開催される。
残り3分、2点差。敗色濃厚にも「逆転できる」(大塚主将)。ドラマはここから始まった。準決勝まで無失点の星稜からFW高浪が1点を返すと、ロスタイムは3分。ラストワンプレーでDF竹沢がPKを獲得すると、約5万人で埋まったスタンドはどよめき、ムードは最高潮に達した。重圧の中、MF大塚主将が冷静に決め、土壇場で試合を振り出しに戻した。
迎えた延長後半9分、MF村井が豪快に勝ち越しゴールを決める。約2分後、優勝を知らせるホイッスルがピッチに響き渡る。選手たちは喜びを爆発させた。「富山っ子」の快挙に、大塚監督は「富山の皆さん、やりました!」と叫び、男泣きした。
絶対にあきらめない、驚異的な粘りが大一番で生きた。毎年夏に行われる障害者団体とのサッカー交流で培われた心。大塚監督の知人からの依頼で全国の団体とチームを組み、一緒にプレーする。MF西村は「松葉づえの方がGKで『絶対に手を抜くな』って言うんです。抜いたら怒られるし、全力でシュートしてますよ」と苦笑い。だが貴重な経験を通して、サッカーが出来ること、思い切り蹴れる喜びを再確認した。そして何より、障害者のあきらめない姿に触発された。
そんなサッカー交流の力を認める人物がいる。J1横浜の元監督、水沼貴史氏。76年度の首都圏開催、初の国立で優勝した浦和南(埼玉)のFWだ。交流を通して親交がある選手たちは「水沼さんが最初に勝った国立で、最後に僕たちが勝ちたい」と、ひそかに必勝を誓っていた。スタンドで勇姿を見届けた水沼氏は「彼らが勝ったのは偶然じゃない。そういう活動を通して、成長しているんだよ」と頬を緩めた。
登録25人中23人が富山県出身。「育成は親のかかわりが大事」という指揮官の信条から全員が自宅から通う。冬場は雪のため外で練習ができず、体育館も早朝だけしか使えない。数々のハンディを乗り越えたチームの武器は「一体感」だ。北信越初の偉業に大塚監督は「田舎の選手でもできるんだというのを証明した」。
首都圏開催となって38回目を数えた聖地・国立。富山第一のあきらめない心が、奇跡的なフィナーレを呼び込んだ。【桑原亮】
◆富山第一
1959年(昭34)4月、富山市に設立。サッカー部は60年創部。主なOBは柳沢敦(仙台)。野球、ラグビー、男子バスケット、女子バレーも盛ん。富山市向新庄町5の1の54。本吉達也校長。生徒数1135人。
▼初の決勝2点差逆転V
富山第一が0-2のビハインドから3点を返して逆転勝ちし、初優勝を飾った。首都圏開催となった76年度大会以降、決勝の2点差以上逆転勝ちは初。「最後の国立」で、最初で最後の記録が生まれた。決勝の延長戦決着は、05年度の野洲-鹿児島実戦(2-1)、11年度の市船橋-四日市中央工戦(2-1)に次いで2大会ぶり3度目。