MF宮間あや(30=岡山湯郷)は12年ロンドン五輪後、米国や欧州からのオファーを断って岡山湯郷に残留した。黒田和則GM(69)は明かす。「(移籍しても)帰ってくるところはあるぞって、言ったんです。契約金も年俸も雲泥の差。それでも(岡山湯郷)ベルで優勝したいというのがあったようです」。国内でプレーし、女子サッカーの発展や普及に役立ちたいという思いからの決断だった。

 宮間は01年、新設された岡山湯郷から誘いを受けた。平日は千葉・幕張総合高に通い、週末は自宅のある千葉と岡山を飛行機で往復した。高校卒業後に岡山・美作市に引っ越し、湯郷温泉でアルバイトしながらプレー。2年間の米国移籍から復帰した10年に初めてプロ契約を結んだ。その時、黒田GMは「1000万円プレーヤーを作りたいんや。そうしないと(プロ選手として)値打ちがない」と声をかけたという。

 なでしこリーグでプレーする選手の年俸は高くても500万円程度。ほとんどはプロ契約ではない。そんな中、W杯初優勝、ロンドン五輪銀メダルに貢献した宮間の年俸は国内トップクラスの2倍以上。黒田GMは「あやはもう1000(万円)は超えています。次は2000。女子だって5000万とかもらってもいい」と言う。

 宮間の目標は女子サッカー選手が、子どもたちの夢の職業になること。「そのためには、今はまだまだ勝ち続けなくてはダメなんです。そうしなければ存在を忘れられてしまう」。だからこそ宮間はピッチ内外で自分にも仲間にも厳しい。その先にW杯連覇があると信じている。【鎌田直秀】