<14年3月、東京合宿>
手倉森監督の実質的な初合宿となった。初采配のU-22アジア選手権(同年1月)は就任前のためメンバー選考にかかわれなかったが、この合宿に向けて「まずJで活躍している選手を」と各クラブの主力級を集めた。戦術ミーティングで、Rマドリードやドルトムントなど欧州の一流クラブの映像を提示。「攻守の切り替え」「カウンター」などの場面を抽出し、各5〜10秒にまとめて選手に見せた。J2だった仙台をJ1準優勝(12年)まで押し上げた手倉森監督のサッカーは「堅守速攻」。その最高峰を見せながら選手に考えを伝えた。
▼練習試合(対U-19日本代表)4○2【得点者】後藤優介、金森健志2、高橋祐治
3日間の合宿の最終日に「弟分」のU-19代表と練習試合を行った。4-2で勝ったものの、一時は0-2で負けていた。その2失点は、後に手倉森ジャパンの主力となる、当時U-19代表のFW南野拓実(当時C大阪、現ザルツブルク)が演出した。試合の主導権は体力で勝るU-21代表が握ったが、南野が1人で流れを変えた。0-0の前半22分、FW宮市剛の右クロスにダイレクトで右足を合わせ、ゴール右に突き刺した。さらに2分後、左サイドを破ってシュートぎみのクロスを送り、DFに当ててゴールにねじ込む。これがオウンゴールになった。
2得点ともショートカウンターからフィニッシュに持ち込み「格上相手で気合が入った。いい形でスキを突けた」と納得。U-21代表への飛び級での選出は同年10月のU-19アジア選手権(ミャンマー)終了後まで封印されていたが、手倉森監督も「南野が怖いなと思って見ていたら、やはり点を取られた。さすがだね」。後に仲間となる逸材と試合後、笑顔で握手した。視察したA代表のアルベルト・ザッケローニ監督にも猛アピール。南野は翌4月のA代表国内組合宿に〝2階級特進〟で選出された。