<15年3月、国際親善試合U-22ミャンマー戦(フクアリ)>

 リオデジャネイロ五輪アジア1次予選の壮行試合としてミャンマーを迎えた。これまで海外で戦ってきた手倉森ジャパンの国内お披露目ゲーム。指揮官は「引いた相手を崩すメンバーを選んだ」とDFを従来の8人から6人に削り、広島FW野津田ら攻撃的な選手を多く呼んで試合に入った。

 ▼壮行試合(対U-22ミャンマー代表)9○0【得点者】鈴木武蔵4、中島翔哉4、岩波拓也

 東日本大震災の発生から4年。チームが被災地にゴールラッシュをささげた。前半7発、後半2発。鈴木と中島が4点ずつ決める圧巻の試合で壮行試合を飾った。手倉森監督は「3・11に試合できたことが収穫」と特別な日を振り返った。

 手倉森監督は東北人。青森県出身で04年から仙台市に住む。11年3月11日の震災発生時は、当時監督だった仙台のクラブハウス2階にいた。天井が崩れ落ち、割れた窓ガラスが散乱。身長より高い家具はすべて倒れた。かいくぐって「逃げろ!」と叫びながら、階段を駆け下りると、揺れ動く割れ目から液状化した泥水が噴き出していた。停電の中、愛車のカーナビで見た津波の映像に凍りついた。

 会場の千葉は、被災後に練習場所を提供してもらった地だった。市原市のホテルに着いた日、フクアリを本拠とする千葉サポーターが「ようこそ市原へ 共に強い気持ちで勝ち進もう!」と紙に書いて迎えてくれた。再出発させてくれた場所にU-22代表監督として戻り、大勝で恩返しした。

 試合前には、ある映像を選手に見せていた。タイトルは「知られざる英雄たち」。震災から立ち上がろうとする人々に焦点を当てた物語。仙台市出身で、友人の家が津波で流されたというMF吉野は「気持ちが高ぶった」と神妙に言い、指揮官も「この日に試合する意義をすり込んだ。風化させないために」。点差が開いても手は抜けなかった。

 フクアリは、仙台時代に「復興のシンボル」として戦ったユアスタをモデルに建てられた。そこで監督就任後最多となる9発を贈り「自分は震災の起きた場所で生かされた人間。伝えていく使命がある。リオで歴史を変えるまで希望の光を放ち続けたい」。五輪でメダルを取ることが被災地を勇気づけると信じて、戦っていくことを再確認した。