<15年12月、沖縄・石垣島合宿>
手倉森監督は、国内で行う最後のキャンプを文字通りサバイバル合宿とした。当初は本番となるリオデジャネイロ五輪切符のかかる同アジア最終予選兼U-23(23歳以下)アジア選手権の登録メンバー23人を発表し、そのままの顔ぶれで臨む予定だった。
しかし、12月18日のメンバー発表会見では何と2枠を残し21人だけ発表。残る2人は合宿最終日に発表するというウルトラC。21人以外の候補メンバーも含め、同22日からの沖縄・石垣島合宿は24人でスタートした。天皇杯で勝ち残っている浦和や東京からは開始時に選手を招集できず、エースのMF南野も所属のザルツブルクとの話し合いの末、参加は見送られた。
それでも、初日の石垣市は最高気温28度の快晴。12月下旬に28度以上を観測したのは28年ぶりという吉兆?
のもとでスタートを切った。24日、合宿3日目には実戦的なオプションテストも行われた。不動のボランチ遠藤主将がセンターバック(CB)に下がる形をテスト。遠藤をボランチとCBで計算できれば、CBを1枚減らしより攻撃的なメンバー構成も可能になる。2枠を残したからこその、テストだった。
また、クリスマスイブ(24日)はFW久保の22歳の誕生日。夜の食事ではFW鈴木の美声で祝福された。海外組として大きな期待を背負うFWもすっかりチームに溶け込んでいるようだ。22歳になって初の大会が最終予選となるが「五輪切符は誕生日プレゼントじゃなく普通に欲しい」。久保らしく、無頓着だった。
27日には天皇杯準々決勝で敗退した東京からDF奈良とMF中島、神戸からDF岩波が追加招集されて合流してきた。このタイミングで同じく敗退した鳥栖のFW鎌田は招集されず、事実上の選外に。着々とメンバーの絞り込みが進んでいった。
29日にはサバイバル紅白戦(50分1本)が実施された。残る2枠を巡って控え組に入ったMF豊川が1アシストと結果を残す。試合は主力組が大4-1で快勝した。なでしこジャパンの佐々木監督も視察に訪れ「手倉森に『一緒にリオへ行こう』と言いにきました」と激励された。
ついに運命の30日。年の瀬に、石垣島合宿を終え東京に戻った手倉森監督が残る2人のサムライを自らの口で発表した。選ばれたのは何と19歳、無印といってもいいDF三竿。もう1枠は順当にMF豊川だったが、有力視された攻撃のタレントMF関根(浦和)やFW鎌田(鳥栖)ではなく、三竿&豊川という手倉森流前回のセレクト。
合宿中に激励の品として、まぐろ一本釣り用の竿を贈られた指揮官は、最後の1枠で三竿を抜てきした。MFだが、DFもできる19歳を加えてセンターバックを1枚削り、中盤に厚みを持たせた。「彼のような体格の選手がボランチで成長しないといけない」。日本サッカーの将来を見すえた決断でもあることを明かした。
豊川については「彼の飛び出しの能力、クロスにも突っ込んでいけるし、違った得点の可能性を加えたかった」と説明。合宿中に右足首を痛め離脱した正GK候補の中村(柏)を外し、牲川(にえかわ、鳥栖)を追加招集して準備完了。全23人がそろった。
年明けの1月2日、千葉・成田空港から決戦の地カタール入り。手倉森監督の初夢は「五輪の年になる瞬間は寝てしまったが、勝って、もうリオに行っている夢を見た。これは予知夢だな」。元日に仙台市内の国宝・大崎八幡宮で引いたおみくじは大吉。「昇り龍のごとく勝ち続ける」と書いてあったといい、何とも縁起がいい。
協会の規定によりチーム結成後初めて選手はビジネスクラスで移動。いよいよ本番。ムードは高まる一方だが、何と成田空港に見送りにやって来たサポーターは12人。確かにサポーターといえば12番だが…。難しいミッションを課された若きサムライは、ごった返す成田からひっそりと出国していった。