メダルに思う損失回避
“損失回避”理論を作ったダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが2002年にノーベル経済学賞を受賞した。損失回避とは、簡単に言えば「得る時の喜びよりも、失う時の痛みの方が強く感じる」という概念だ。
選手たちはオリンピックに向けて、長期間たくさんのトレーニングをしてくる。そうして、ようやくたどり着いた舞台だから本人としても期待が大きい。また、オリンピックほどの舞台になれば世の中の注目も集まるため、世間の期待も高くなる。
期待というのは願望と少し違っていて、期待が高まっていくと、だんだんと「できたらもうけもの」というよりも「できて当たり前」に近くなっていく。
期待が最高潮に高まった時、選手の心理としては「メダルが取りたい」「勝ちたい」というよりも、「取れるはずのメダルを失いたくない」「手に入るはずの勝利を失いたくない」となっていく。得るもののはずであるメダルが、失いたくないメダルになっていく。
誰しもが経験あると思うが、普段は普通にしゃべることができるのに、人前でしゃべるとなると、急に上手にしゃべれなくなったり、考えがまとまらなくなったりする。また、何げなく行えば普通にできるのに、絶対に成功しなければいけないと言われると、急にそれを行うのが恐ろしくなる。損失回避への恐れは、人を守らせてしまい、守りに入った時、顔はこわばり動きはぎくしゃくして、選手のパフォーマンスは低くなる。
もちろん自ら勝利を宣言して、それに鼓舞されるような強い選手もいるだろう。ただ私もそうだったけれど、多くの選手は超人ではないので、どう認識を変えていけばパフォーマンスが高くなるのかを工夫する。例えば、選手が「チャレンジャーでい続けたい」という言葉を使うのは、手に入るはずの勝利ではなく、手に入れる側でいたいという思いがこもっている。「楽しみたい」と発言する時は、勝利を忘れることで勝利に近づこうとする思いがこもっている。
武士道の中に「生きるために生を投げ出す」という表現がある。生きたいと思ってこだわることが結果、動きを悪くし死を近づけるから、いっそのこと生を投げ捨てた方が生き残れる、という意味の言葉だ。不思議なことに欲しいものへの執着を捨てた時に、それが転がり込んでくることがある。本当に厳しい戦いは、自分自身の内側で起きている。(為末大)
日刊スポーツ新聞社
日刊スポーツ五輪
@nikkan_Olympicさんをフォロー