陸上の世界選手権、通称「世界陸上」が明日から韓国・大邱で開幕する。やはり男子短距離のウサイン・ボルト(25=ジャマイカ)から目が離せない。前回2009年のベルリン大会は100メートル9秒58、200メートル19秒19という驚異的な世界記録を樹立した。故障明けの今季、ここまでの道のりは決して盤石ではない。それでも「ライトニング(稲妻)・ボルト」の誇りにかけ、新たな伝説に挑戦する。
今のボルトはつけ入る隙がある-。誰もがそう言う。長期の故障休養明け、影を潜める爆発力、そしてルール変更によるプレッシャー。ゆえに「本調子ではない」と見る向きが多い。
つまずきは昨年8月6日だった。スウェーデン・ストックホルムで行われたダイヤモンドリーグ第11戦の100メートルで、タイソン・ゲイ(米国)に敗れた。隣を走ったゲイの9秒84に対し、9秒97と完敗。北京五輪前の08年7月に、アサファ・パウエル(ジャマイカ)に屈して以来の黒星だった。直後に腰とアキレス腱(けん)の痛みを訴え、シーズン残りの大会をすべて欠場。と同時に、絶対的な存在からも陥落した。
それから9カ月。5月26日のダイヤモンドリーグ第3戦ゴールデン・ガラ(ローマ)の100メートルに出場し、ようやく復帰を果たした。これまで100メートルは3回走り、ベスト記録は7月22日にダイヤモンドリーグ第10戦モナコ国際(モンテカルロ)で出した9秒88。今季ランキングにして5位タイ止まりだ。自らも「神経質になり、レースに影響している」と会心の走りには程遠いことを明かした。また昨年からフライング1回で失格するルールに変更したことも影響している。スタートのリアクションタイム(100メートル)は世界記録を打ち立てた09年の平均時0・146秒から、今季は0・171秒まで後退している。より慎重になった心理面の変化が、数字の上からも見て取れる。
ただ、ネガティブな面ばかりではない。故障したことでオフシーズンは徹底した筋力トレーニングに打ち込めた。196センチ、86キロの体は以前よりも一回り大きくなり、持ち前の爆発力はしっかり体にため込まれた。長い手足を素早く、スムーズに折り畳む技術は健在。100メートルでは出足の悪さが目立つが、距離が延びる200メートルとなれば話は別だ。中盤からの加速力を生かし、6月9日にはノルウェー・オスロで今季ランキング1位の19秒86を記録。本番で自己ベスト19秒19の記録にどこまで迫れるのか、興味は尽きない。
先日ロンドン五輪の入場券の1次販売(欧州地域)の申し込みが締め切られたが、ボルトが登場する陸上男子100メートル当日には130万人が殺到したことが判明。あらためてスーパースターぶりを印象づけた。競技引退後は、サッカーの名門マンチェスターU(イングランド)でのプレーを希望する。「オレにはスピードがあるし、プレー精度を向上すればやれる」と発言し、世間を驚かせた。
弓矢を天に向けて引く、おなじみの「ライトニング・ポーズ」は、まさにサッカー選手のゴールパフォーマンスさながら。大邱でも、その勇姿が見られるのか。くしくも大邱スタジアムでは、昨年5月のワールドチャレンジを制し「リハーサル」は済ませている。
今回は3強の一角、ゲイが6月の全米選手権で臀部(でんぶ)を痛めて棄権し、出場権を失った。また、ジャマイカの同僚で優勝候補の1人だったパウエルも、脚の付け根のけがで男子100メートルを欠場することが25日、分かった。ライバル不在の中、ボルトがどのようなパフォーマンスで優勝するのかに興味は絞られてきた。まずは大会初日の27日、男子100メートル。「ボルトによる、ボルトのための、ボルトの大会」が始まる。
◆ウサイン・ボルト
1986年8月21日、ジャマイカ・トレロニー生まれ。少年時代はサッカーやクリケットに打ち込み、13歳から陸上を始める。当初は200メートルが専門だった。02年世界ジュニア選手権を史上最年少の15歳で優勝。04年には17歳で19秒93のジュニア世界新をマーク。07年の大阪世界選手権200メートルで2位となり、100メートルに本格参戦。08年の北京五輪でリレーを含めて短距離3冠。09年8月の世界選手権では100メートルを9秒58、200メートルを19秒19の世界新で優勝。趣味はテニス観戦、サッカー。196センチ、86キロ。