大人っぽさがにじむブルース「メモリーズ」を滑りきり、クールな男がギュッと左拳を握った。昨年12月22日の全日本選手権ショートプログラム(SP)。田中は国際スケート連盟非公認ながら自己ベストの91・34点を記録。「体に染みついたものを出せた」と激しさの余韻が残る息づかいのまま充実感を口にした。
宇野に次ぐ2位を同24日のフリーでも守り、初の五輪(オリンピック)代表に決定。10月のグランプリ(GP)シリーズ第1戦ロシア杯を右腸腰筋の筋損傷で欠場したが、11月初旬のGP中国杯を経て全日本選手権にピークを合わせた。「吐きそうな気分」と振り返る4年に1度の最終選考会を「苦しかったけれど幸せな時間」と楽しめた。それは12月に入ってから週3度、午前0時まで及んだ猛練習のおかげ。普段の1・5倍の練習量で夢をたぐり寄せた。
14年ソチ五輪を控えた13年の全日本選手権は「『4年後に(五輪へ)行けるかな?』よりも『これからの4年、どうなるのかな』という焦りでした」。全力疾走はそこから始まった。
現在は甲子園で大合唱されるプロ野球阪神の「六甲おろし」が風に乗って聞こえる、兵庫・西宮市内で1人暮らし。フライパンを握り、レタスと豆腐の炒め物などを作る。その中でここ2年間は月に2~3回、遠出をするようになった。新大阪~名古屋間を50分で結ぶ新幹線の倍以上の時間をかけて、近鉄特急で名古屋へ。そこから電車を乗り継ぎ、愛知・豊田市の中京大リンクに向かうのが習慣だ。
目当ては3歳年下の宇野。私生活でもかわいがる弟分を「間近で見ておかないといけないと思っていて。ポンポンと4回転を跳ぶ空気感。そういう選手の練習を身近に体感して焦っておくことが大事だと考えました」。田中にはいつも焦りがある。だからこそ、全日本選手権前の猛練習も歯を食いしばってやりきった。
五輪決定の一夜明け。「うさぎよりも亀タイプ?」と聞かれ「そうかもしれないですね。長い時間がかかった。同期で羽生選手がいる分、そう自分で感じるところもあるし、少しでも彼に追いつきたいと思っていました」と笑った。大勝負を乗り越え、新たな景色は確かに見えた。【松本航】
◆田中と全日本選手権 男子の五輪出場枠3を目指し、羽生、宇野に続く3番手争いの立ち位置でシーズンが進行。昨年12月22日のSPは91・34点の2位につけ、ライバルの無良を5・81点リードした。24日のフリーでは後半に組み込んだ4回転トーループを成功させるなど175・81点を記録し、国際スケート連盟非公認ながら合計267・15点の自己ベストで2位を守った。