サッカーワールドカップ(W杯)1次リーグ最後のポーランド戦のラスト10分間、日本代表の戦い方に賛否両論が集まった。0-1と負けているにもかかわらず、ボールを回して時間を稼いだプレーである。とても興味深い事例なので考察したい。
- 決勝トーナメント進出を決め喜ぶ長谷部誠(左)ら日本代表イレブン(撮影・江口和貴)
■星稜松井の5打席連続敬遠
私が興味深いと思ったことは次の3点である。
(1)W杯はエンターテインメントか勝負か
(2)ルールにないことはどの程度までやってもいいのか
(3)勝利条件はどこに設定すべきか
まずW杯はエンターテインメントか勝負か? わかりやすく整理すると、見ている側はエンターテインメントであり、やっている側は勝負である。だが時に勝負に徹すると、観客から見て面白くない戦術が有効な場合がある。2つの目的が対立しているからだ。
1976年(昭51)のムハマド・アリとアントニオ猪木の異種格闘技戦では、猪木が寝転がって相手のパンチを封殺するという手段を選んだ。これも戦いにおいて正しい戦術だと思うが、派手に殴り合う姿を想定していた多くのファンにとっては予想外だった。
このようにスポーツにおいて最も戦いに有効な手段が地味である場合は多々ある。もし勝負に徹し過ぎればスポーツ自体のエンターテインメント性が失われ、ファンが減りビジネスとして成り立ちにくくなる。一方でエンターテインメント化しすぎれば、真剣勝負の緊張感がなくなる。このあたりのどこに立ち位置を取るかで、スポーツは随分と風景が変わってくる。
第2の観点は、ルールにないものはどの程度までやっていいのか? 英語で「unwritten rule」という言葉がある。明文化されていないが、暗黙の了解で皆やらないというものを指すものである。日本は比較的この領域が大きいと私は考えている。一番に思い出される事例は、1993年(平5)の甲子園で明徳義塾が行った星稜・松井選手への5打席連続敬遠ではないだろうか。ルールに反したわけでないプレーだが、多くの批判を呼んだ。まさにルールには書かれていないけれどもマナーとして認識されている領域だったのだろうと思う。
一方で社会の破壊的イノベーションはこの領域で起きることが多い。例えば、違法スレスレ(地域によっては違法だったのかもしれないが)の部屋貸しビジネスだった「airbnb(エアビーアンドビー)」が宿泊の世界を変えていこうとしているし、「Uber(ウーバー)」もしかり。ひっくり返せば「unwritten rule」の領域に踏み込まない文化では、イノベーションが生まれにくいとも言えるのではないだろうか。陸上の高跳び選手でディック・フォスベリー(米国)という背面跳びを開発した方に会ったことがある。最初はベリーロールの変形に見え、ルールには書かれていないが美しくない飛び方だと批判されたことがあったそうだ。今では五輪で背面跳び以外の選手を見かけなくなるほどスタンダードになった。
- 後半、指示を出す長谷部誠(撮影・江口和貴)
■求められる勝利条件の設定
最後に、そもそも「勝利条件とは何か?」がスポーツははっきりしていない。いや、スポーツだけでなく社会においても勝利条件はいつも複雑だと感じている。この勝利条件とは、目的や目標といってもいい。
例えば、チームを勝たせることだけに勝利条件を置いた高校の部活チームがあるとする。しかも勧誘が禁止されていて、部員もやる気がない部員が多いとする。そうなると、短期的にやる気のない人間を動かすには恐怖を与えるという手は有効だ。ところが多くのチームはこのような手段は取らない。なぜならば恐怖によって支配することは、選手の人生を広げることとは反対の手法だからだ。
つまりこの場合、勝利条件はチームの勝利と選手の生涯にわたっての成長の2つあることになる。そしてこれ以外にも、あるべきスポーツマンの姿、ステイクホルダーの満足、競技全体の発展、代表する学校の校風など、たくさんの勝利条件があり、この中で日々意思決定をしている。
ところが勝利条件が多すぎる人は、すべての勝利条件が完全に一致する場面はほぼないわけだから、意思決定に迷いが生じる。そして目的を絞り込めず、戦略や戦術がぶれたり弱まったりする。さらにその下にいる皆が混乱する。ゆえに多くの組織は理念などを設定し、勝利条件を絞り込んでおくわけである。
勝利条件をシンプルに絞り込める人は強い。強いが、シンプルすぎると人を傷つけたり、皆を不幸にしてしまったりする。さらに勝利条件がシンプルな人々が集まる場では、全体の利益を考えるという視点が不足しがちになる。このバランスをとりながらスポーツの現場では意思決定がなされている。実はスポーツのリーダーがまずやるべきことは戦略や戦術ではなく、勝利条件の設定なのである。
スポーツを通じて人間や社会を理解することが私のライフワークだが、今回の例は色々と考えさせられる素晴らしい機会となった。決勝トーナメントに進んだ日本代表に敬意を表するとともに、こうした議論ができる平和な環境にあることを感謝したい。(為末大)