故郷の食に成り上がりあり? サッカーW杯に2大会出場したG大阪のDF今野泰幸(32)が生まれ育った宮城・仙台市。人口100万人を超える東北最大の都市で、今野の成長過程を探った。あの仙台名物と、ひそかなブームとなっている地元の菓子に似たような境遇をついに発見。その秘密とは-。
難儀だ。大都市で生まれ育った今野の秘密を探るなんて。「仙台の特色、名物なんて読者でもいくつか思いつくでしょう」。ブツブツ文句を言いながら、あの上司の顔が浮かんできた。
- 第79回全国高校サッカー、東北対明徳義塾での東北・今野泰幸
今野の母校、東北高サッカー部の小野弘信監督(48=当時コーチ)に心の中で「監督、助けて」と叫びながら会いに行った。
小野監督 最初はまったく目立たなかったんだけど、東北高で覚醒したと言っていいんじゃないですか。
今野が1年生の時の練習試合。途中で選手が足りなくなり、たまたま近くで球拾いをしていた今野が呼ばれた。
小野監督 試合に出したら、なかなかやるじゃないかになって。
サッカー推薦の特待生でもなく、一般入試で入部した今野は2年生になると頭角を現した。
小野監督 特待生に負けたくない、と言っていた。
ひらめいた! 無名選手からJリーガー、日本代表にまでなった今野は「成り上がり」の男だ。
でも、どう原稿の切り口にするんだ? テレビをつけると仙台名物の牛タンを紹介していた。あっ、その歴史ってどうなの、とふと思った。牛タン振興会事務局長の小野博康さん(60)に急きょ連絡を取った。
小野さん 戦後間もないころに牛タン焼きが始まったと言われています。
ただ牛の舌を食べることを、庶民は簡単には受け入れなかったという。
小野さん 70年代に静かなブーム。80年代に牛タンを広げようと「仙台名物」としました。それでも今ほど脚光を浴びていなかった。90年代のバブル期に人気が出て花が咲いたんです。
仙台市などがPRし、メディアが取り上げたこともあり人気が急騰。現在市内に約100ある店舗は、90年代から増え出した。
小野さん あっという間にヒットしました。
キタッ--。牛タンにも無名時代があった。今野のサッカー人生とそっくりだ!
あの上司 得意のこじつけか。
- 宮城を飛び出しプロの道を選んだ今野泰幸(撮影・田崎高広)=2014年11月18日
突っ込まれた。じゃあ、違うネタを探してやる。仙台で伝統のある駄菓子は、どうだ。江戸時代から製造されているほど、歴史は古い。宮城県物産振興協会の事務局次長兼業務課長、横田清志さん(55)が助け舟を出してくれた。
横田さん 昔は人気がなくて今、人気上昇のお菓子? う~ん。「まころん」がいいんじゃないかな。
「まころん」? 仙台市民が古くから知っている落花生などを原料にした駄菓子だ。ネットで検索すると、ひそかなブームを呼んでいるようだ。製造元は伊藤食品工業所。代表取締役の伊藤幸明さん(61)がいる店舗へ、すがる思いで行った。
伊藤さん 3代目(社長)に30年前ぐらいになってね。「黒糖入れたらいいね」とお客さんに言われて種類を増やしたり、横浜、名古屋などの物産展に参加しましたね。
伊藤さんは県外に目を向けていた。対面販売で客の意見を参考にし、口コミでも徐々に「まころん」の評判が広がっていった。
小野さん 昔は売れなかった時があった。知名度は上がっているのではないでしょうか。
1日2000袋の「まころん」を問屋に卸す日がある。牛タンも今や全国的にも有名だ。あっ、今野の進路に似ている。
高校卒業後、ソニー仙台の社業をしながらサッカーを続けていくはずだったが、Jリーグ札幌を率いていた岡田武史監督(元日本代表監督)に能力を高く評価され、宮城を飛び出してプロの道を選んだ。
牛タン、まころんも日の目を見ない時代があった。今野が歩む人生は食の仙台名物にも共通している。ねっ、そうでしょう!
あの上司 ……。【久野朗】
- 宮城県仙台市
◆仙台市 宮城県中部に位置。県庁所在地で政令指定都市。市の中心部周辺には広瀬川や青葉山などの自然があり、中心部にも街路樹などの緑が多いことから「杜(もり)の都」とも呼ばれる。伊達政宗、七夕まつりはあまりにも有名。人口は約107万人で東北地方最大の都市。奥山恵美子市長。
◆仙台まころん 落花生、だいこん糖、鶏卵、重曹とシンプルな材料を使っている。昔ながらの職人の手作りで1個1個を丹念に焼き上げ、手作業で袋詰めされる。ごま、チョコ、黒糖など種類も豊富。