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羽生結弦
羽生結弦
はにゅう・ゆづる
所属ANA
生年月日1994年(平5)12月7日
身長172センチ
出身地宮城県仙台市
主な戦績14年ソチ五輪、18年平昌五輪金メダル、14、17年世界選手権優勝、13~16年GPファイナル史上初4連覇、20年4大陸選手権優勝
コーチブライアン・オーサー、トレイシー・ウィルソン、ジスラン・ブリアン
2021-22楽曲SP=序奏とロンド・カプリチオーソ、フリー=天と地と
2021-22振付師ジェフリー・バトル、シェイリーン・ボーン
2020-21楽曲SP=Let Me Entertain You、フリー=天と地と
2020-21振付師ジェフリー・バトル、シェイリーン・ボーン
2019-20楽曲SP=秋によせて→バラード第1番 フリー=Origin→SEIMEI
2019-20振付師ジェフリー・バトル、シェイリーン・ボーン
自己ベスト総合322.59(19年スケートカナダ)世界2位
SP111.82(20年4大陸選手権)世界1位
フリー212.99(19年スケートカナダ)世界2位
練習時間(週)10時間(2019-20)→-(2020-21)
趣味音楽鑑賞
SNS、ブログなどなし
関連ニュース
プロフィル
09年ジュニアGPファイナルを14歳の史上最年少(当時)で制覇。10年世界ジュニアも優勝し、10-11年シーズンからシニア転向。11年3月11日、アイスリンク仙台で練習中に東日本大震災に遭う。
逆転表彰台となる銅メダルに輝いた12年の世界選手権は「伝説のニース」として鮮烈な印象を残した。同年5月に練習拠点をカナダ・トロントのクリケットクラブへ。年末の全日本選手権で初優勝し、15年まで4連覇。16年は欠場。
14年ソチ五輪ではSPで史上初の100点超えとなる101・45点をマークし、アジア人男子初の金メダルを獲得。同年の世界選手権も初制覇した。GPファイナルは13年から16年まで4連覇(史上初)。
17年11月のNHK杯公式練習で転倒し、右足首の靱帯(じんたい)を損傷。18年2月の平昌五輪は約4か月ぶりの復帰戦に。それでもSP1位、フリー2位の出来で冬季五輪ではディック・バトン氏以来66年ぶり、日本人初の2連覇を遂げた。個人では史上最年少、かつ冬季種目では初の国民栄誉賞が授与された。
20年の4大陸選手権を初めて制し、ジュニアのGPファイナルと世界選手権、シニアの五輪、世界選手権、GPファイナルを合わせた主要タイトル6冠「スーパースラム」を男子で初めて達成した。
20-21年シーズンは、国際スケート連盟(ISU)が創設したフィギュア部門の表彰式「ISUスケーティング・アワード」で初代MVS(Most Valuable Skater=最優秀選手賞)に輝いた。一方、新型コロナウイルス感染拡大防止のためグランプリ(GP)シリーズを初めて全休。国内で調整して12月の全日本選手権で約10か月ぶりに実戦復帰し、自らも振り付けを考案した新プログラム2本を完璧にそろえて5年ぶり5度目の優勝を果たした。
宮城・東北高から13年春に早大人間科学部(通信教育課程eスクール)入学。20年秋に卒業した。家族は両親と姉。
- photo写真ニュース
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