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小松原美里&小松原尊(ティム・コレト)
小松原美里
こまつばら・みさと
所属倉敷FSC
生年月日1992年(平4)7月28日
身長161センチ
出身地岡山県
主な戦績18~21年全日本選手権4連覇。20年GP NHK杯優勝。14、15年イタリア選手権3位。21年世界選手権19位。09、10、11年全日本ジュニア優勝、11年世界ジュニア14位、
コーチマリーフランス・デュブレイユ、パトリス・ローゾン、ロマン・アグノエル
2021-22楽曲RD=Le Freakほか、フリー=映画「SAYURI」より
2021-22振付師Ginette Cournoyer、Samuel Chouinard
2020-21楽曲RD=映画「ドリームガールズ」より、フリー=ある愛の詩
2020-21振付師マリーフランス・デュブレイユ、ロマン・アグノエル
2019-20楽曲RD=映画「ドリームガールズ」より、フリー=ミュージカル「ロード・オブ・ザ・ダンス」
2019-20振付師マリーフランス・デュブレイユ、ロマン・アグノエル
自己ベスト総合178.17(21年全日本選手権)
RD71.74(20年全日本選手権)
FD110.01(21年全日本選手権)
練習時間(週)37時間(2019-20)→15時間(2020-21)
趣味言語習得、読書、音楽鑑賞、Netflix,ネイル、ヴィーガンレストラン探し
プロフィル
9歳でスケートを始める。同郷(岡山県)の高橋大輔を新聞で見て「格好いい」と思い、リンクを訪れたのがきっかけ。それまでは野球で投手をしていた。ケガなどの影響もあり、15歳でアイスダンスに転向。
水谷心と組んだ09年全日本ジュニアから3連覇。11年世界ジュニアには日本人カップルとして12年ぶりに派遣され、14位に。
辻馨とのコンビを経て、13年にはイタリアに渡り、アンドレア・ファブリと組んで14、15年イタリア選手権銅メダル、16年欧州選手権は21位。
16年4月からトライアウトで組んだティム・コレトと新カップルを結成し、日本代表に戻る。17年1月23日には結婚し、公私ともにパートナーとなり、国際舞台で再び活躍を始めた。同年NHK杯で戦った海外選手の強さを目の当たりにし、アイスダンス王国のカナダ・モントリオールに拠点を移した。
19年は夏に氷上で頭を2度強打。頭部外傷、脳振とう、外傷性頸部(けいぶ)症候群と診断を受け、競技復帰後も症状に苦しんだ。11月のNHK杯は欠場を余儀なくされたが、全日本選手権では2連覇を達成した。
新型コロナウイルス感染拡大の影響でカナダに戻れなかった20-21年は地元の岡山で練習。参加カップルは日本人だけだったもののNHK杯で初優勝を果たし、全日本も再び制して3連覇。夫の日本国籍取得を受け、明確に「目指す、と口にできるようになった」という北京五輪へ。さらなる進化が期待される。
小松原尊(ティム・コレト)
所属倉敷FSC
生年月日1991年(平3)6月17日
身長187センチ
出身地米国・カリスペル
主な戦績18~21年全日本選手権4連覇。20年GP NHK杯優勝。14年4大陸選手権10位、21年世界選手権191位
コーチマリーフランス・デュブレイユ、パトリス・ローゾン、ロマン・アグノエル
2021-22楽曲RD=Le Freakほか、フリー=映画「SAYURI」より
2021-22振付師Ginette Cournoyer、Samuel Chouinard
2020-21楽曲RD=映画「ドリームガールズ」より、フリー=ある愛の詩
2020-21振付師マリーフランス・デュブレイユ、ロマン・アグノエル
2019-20楽曲RD=映画「ドリームガールズ」より、フリー=ミュージカル「ロード・オブ・ザ・ダンス」
2019-20振付師マリーフランス・デュブレイユ、ロマン・アグノエル
自己ベスト総合178.17(21年全日本選手権)
RD71.74(20年全日本選手権)
FD110.01(21年全日本選手権)
練習時間(週)37時間(2019-20)→15時間(2020-21)
趣味言語習得、ゲーム、小説を書く
プロフィル
兄弟の影響で、7歳になるシーズンの98年にスケートを始める。12年全米ジュニア6位などの成績を残したが、ジャンプ中の膝のケガなどもあり、13年にアイスダンスに転向、米国出身のミン・ユラと韓国代表として滑り始める。
15-16年シーズンからはティア・ラーベと組み、ノルウェー代表になるが、1シーズンで解消。16年夏のイタリアでのトライアウトで後に夫婦となる小松原と組み、新カップルを結成を決意。カナダ・モントリオールをへて、18年11月からは日本に生活の拠点を移した。
再び練習拠点をカナダにした後、新型コロナ禍に見舞われ、現在は岡山で生活している。20年11月19日には念願の日本国籍を取得。こちらもコロナで手続きが遅れていたが、12月の全日本選手権に間に合った。「尊」の名を提案したのは美里の母。引用したのは日本武尊(やまとたける)からで、尊敬の意味も含む漢字に、二つ返事で「はい!」と決めた。国籍が必須な五輪には、これまで当該国の代表で出場がかなわなかったが、北京五輪へ道は開けた。代表が決まる年末の全日本で4連覇へ、突き進む。
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