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フィギュアスケート

佐藤駿

佐藤駿

さとう・しゅん

佐藤駿

所属エームサービス/明大

生年月日2004年(平16)2月6日

身長、体重162センチ

出身地宮城県仙台市

主な戦績19年ジュニアGPファイナル優勝。18、19年全日本ジュニア選手権2位。20年GPNHK杯5位、全日本選手権5位。21年GPフランス杯2位。22年GP英国大会3位、フィンランド大会2位、ファイナル4位、全日本選手権4位。23年4大陸選手権3位、GPスケートアメリカ3位、フィンランド大会2位、全日本選手権5位。24年4大陸選手権2位

コーチ日下匡力、浅野敬子、無良崇人

2024-25楽曲SP=ラヴェンダーの咲く庭で、フリー=ノストス

2024-25振付師SP=ギヨーム・シゼロン、フリー=ギヨーム・シゼロン

2021-22楽曲SP=The Four Seasons: Summer、フリー=オペラ座の怪人より

2021-22振付師佐藤有香、宮本顕治

2020-21楽曲SP=パイレーツ・オブ・カリビアン、フリー=バトル・オブ・ザ・キングス、ロミオとジュリエット

2020-21振付師ブノワ・リショー

2019-20楽曲SP=映画「ロシュフォールの恋人たち」よりキャラバンの到着、フリー=ロミオとジュリエット

2019-20振付師川越正大、佐藤操

自己ベスト総合285.88(24年ロンバルディア杯)世界10位
SP99.20(24年4大陸選手権)世界15位
フリー187.49(24年ロンバルディア杯)世界12位

練習時間(週)16時間(2019-20)→26時間(2020-21)→21時間(2024-25)

趣味音楽鑑賞

SNS、ブログなどInstagram: shunsato_0206

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プロフィル

09年、5歳の時にスケートを始める。本田武史、荒川静香、羽生結弦らを輩出したアイスリンク仙台で基礎を学んだが、11年に発生した東日本大震災の影響で拠点を埼玉県へ。避難生活の後、再び仙台へ戻った。

13年から全日本ノービス選手権V4。ジュニア1年目の17年に13歳で全日本選手権に出場し、総合16位で新人賞に輝いた。

18年に埼玉県へ転居。埼玉栄中に転校し、拠点を埼玉アイスアリーナ(上尾市)にした。14歳で迎えた2度目の全日本選手権で4回転トーループを成功させている。19年には、日本人では羽生以来2人目の4回転ルッツ成功者となった。

同年のジュニアGPファイナルで世界一になる。ショートプログラム(SP)3位で迎えたフリー。冒頭で4回転ルッツを決めるなど、ジュニア歴代最高となる177.86点をマーク。総合255.11点とジュニアの世界最高記録を更新し、優勝した。日本勢男子では05年の小塚崇彦、09年の羽生、14年の宇野昌磨に続く4人目の快挙となった。

2冠を狙った20年3月の世界ジュニア選手権は6位に終わったが、悔しさを胸に今季からシニアに転向。なかなかコロナ禍の中で調整がうまくいかなかったり、左股関節の負傷など苦しいシーズンを送ったが、年明けに心機一転。21年1月の全国高校選手権(インターハイ)で、ジュニアGPファイナル以来となる4回転ルッツを決めるなど上昇の気配をつかんだ。

22年北京五輪シーズンは左肩の痛みに苦しめられ、五輪と同時期に手術。リハビリを経て、22~23年シーズンを飛躍の年とした。GP2戦連続表彰台でファイナルに進出。全日本選手権でも4位となった。

23年からはアイスダンスの五輪金メダリスト、ギヨーム・シゼロン氏が振り付けを担当することになった。高難度4回転ルッツが代名詞の希有なジャンパーは表現面でも引き出しを増やした。2季連続のファイナル進出こそ逃したが、GPシリーズ2大会連続の表彰台。4大陸選手権でも過去最高2位と躍進した。26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪出場を目指し、大切なプレシーズンに向かう。

同い年の鍵山優真、後輩の三浦佳生とはライバル関係にありながら、プライベートでも行動を共にする友人。




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