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フィギュアスケート

宇野昌磨

宇野昌磨

うの・しょうま

宇野昌磨

所属トヨタ自動車

生年月日1997年(平9)12月17日

身長158センチ

出身地愛知県名古屋市

主な戦績18年平昌五輪銀メダル、22年北京五輪銅メダル。17、18年世界選手権2位、22年世界選手権優勝。19年4大陸選手権優勝。16~19年全日本選手権優勝

コーチステファン・ランビエル、アンジェロ・ドルフィニ

2022-23楽曲SP=グラビティ、フリー=G線上のアリア

2022-23振付師ステファン・ランビエル、宮本賢二、樋口美穂子

2021-22楽曲SP=オーボエ協奏曲、フリー=ボレロ

2021-22振付師シェイリーン・ボーン、宮本賢二

2020-21楽曲SP=グレート・スピリット、フリー=ダンシング・オン・マイ・オウン

2020-21振付師シェイリーン・ボーン、デービッド・ウィルソン

2019-20楽曲SP=グレート・スピリット、フリー=ダンシング・オン・マイ・オウン

2019-20振付師シェイリーン・ボーン、デービッド・ウィルソン

自己ベスト総合312.48(22年世界選手権)世界3位
SP109.63(22年世界選手権)世界3位
フリー202.85(22年世界選手権)世界4位

練習時間(週)24時間(2019-20)→18時間(2020-21)→15時間(2022-23)

趣味ゲーム、卓球

SNS、ブログなどwww.shoma-uno.comhttps://www.youtube.com/channel/UCwuVQosBiHDBrU851oSVk0Q/

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プロフィル

5歳の時に当時中学生の浅田真央さんから「かわいいね。スケートやりなよ!」と誘われ、本格的にフィギュアに打ち込む。高橋大輔に憧れて表現力に磨きをかけ、初出場となった09年全日本ジュニア選手権でノービスながら3位。11年には14歳で全日本選手権初出場を果たし、15年世界ジュニア選手権で頂点に立った。

15〜16年シーズンから本格的にシニアへ転向。初出場の15年グランプリ(GP)ファイナルで3位に入り、16年の世界選手権に初出場で7位入賞。翌17年の世界選手権では2位となり、優勝した羽生結弦とのワンツーフィニッシュで、平昌五輪における日本男子最大3枠の獲得に貢献した。

17〜18年の平昌五輪シーズンは全日本選手権2連覇を果たし、初の五輪切符を獲得。五輪では団体戦SPでトップの103・25点を記録し、個人ではSP、フリー共に3位の得点を出し、合計306・90点で銀メダルを獲得した。「『五輪だから』ではなく、どんな試合でも練習してきたことを出し切りたい」と誓い、五輪を特別視しないスタンスで偉業を成し遂げた。

19年には4大陸選手権を制し、主要国際大会12戦目で初めての頂点に立った。シーズン後には山田満知子、樋口美穂子両コーチから巣立ち、19〜20年シーズンはメインコーチ不在でシーズンイン。4年連続出場中だったGPファイナル進出を逃すなど苦しんだが、19年12月の全日本選手権で4連覇を達成。年明けから正式にステファン・ランビエル・コーチへ師事し、拠点をスイスに移した。

新型コロナウイルスの影響を受けた20年は、出場予定だったGPシリーズのフランス杯が中止。シーズン初戦が12月の全日本選手権となった。羽生結弦に次ぐ2位で5連覇を逃したが「実力に関しては(羽生に)2歩ぐらい届かないのが正直な感想。久々にゆづくん(羽生)と試合に出て『僕の目標がここにあったんだな』と感じられた」と新たな発奮材料を得た。

21~22年の北京五輪シーズンはNHK杯で優勝を飾り、全日本選手権では2位。2大会連続の五輪出場を決め、本番では団体、個人で銅メダルを獲得した。18年平昌大会と合わせた五輪のメダル3個は日本フィギュア最多。3月の世界選手権では初優勝し「なかなか優勝をとったことがなかった。初めて1位になれて、うれしく思います」と周囲と喜びを分かち合った。




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