<第87回箱根駅伝>◇2日◇往路◇東京-箱根(5区間108キロ)
「平成の最強ランナー」の誕生だ。東海大の村沢明伸(2年)がエースが集う「花の2区」で、箱根駅伝歴代2位で日本人最多となる17人抜きを達成した。1区最下位の20位でタスキを受けると、序盤の6キロで16人抜き。その後も明大の鎧坂、拓大のマイナら各大学のエースを振り切った。2年生ながら1時間6分52秒の歴代4位(日本人3位)の好記録で区間賞を獲得、チームの往路3位に大きく貢献した。
村沢の背後には誰もいなかった。最下位の20位でタスキを受けた。だが焦りはない。「個人の走りに集中しよう」。最初の500メートルで19位の専大をとらえ、6キロまでに4位集団を逆転して4位に浮上した。追いすがる明大の鎧坂を8キロで振り切り、予選会1位の拓大の留学生マイナと並走。ケニア人特有のバネある走りにも堂々と立ち向かう。「動きが悪い」と不調を見抜くと、15キロすぎで一気に引き離した。
03年の順大・中川の15人抜きを超える日本人歴代最多の17人抜き。花の2区史上に残る快走後は、精根尽き果てたように倒れ込んだ。OBの伊達、佐藤の13人抜きも塗り替え「先輩たちが築いてきたエースの走りを僕もしたかった」と、主軸としての自覚を見せた。タイムは日本人史上3人目の1時間6分台。2年生では史上最速タイムで、区間2位の快走で10人抜きした昨年の記録を、さらに1分以上も縮めた。設定タイムは1時間7分40秒だったが「追い風で走りやすいコンディション。僕の力じゃない。すべての条件が重なった」と謙虚に振り返った。
箱根では華々しい経歴しかないが、14歳の時の苦汁の思いが原点にある。中3の都道府県対抗駅伝で3人の中学生の中で、1人補欠に回った。高校入学後、母佳子さんが「ちょっと悔しい思いをした方がいいんじゃないの?」と聞くと、「オレはもうあの時、十分に悔しい思いをした」と言い返した。
昨年9月に右足首を捻挫した。競技人生で初めて大きな故障を負ったが、プラスに変えようと努力した。離脱中は走りの動きを4つの部分に分けて、一から基礎を見直した。10月の予選会は欠場し、仲間に本戦出場切符の目標を託した。予選会で日本人トップの3位につけた5区の早川翼に対しては恩返しを誓っていた。前夜に「お前がやる気が出るようなレースをする」とメール。約束は破らなかった。
村沢にはあと2年、箱根で歴史的な走りを披露するチャンスが残されている。もっとも、ごぼう抜きには、こだわりはない。「大事なのは僕の走りが次の走者の勢いになること。ごぼう抜きするということは、チームの順位が悪いということですから」。将来的にはマラソン転向を視野に入れる怪物は、チームの往路3位からのさらなる飛躍を願った。【広重竜太郎】