<高校ラグビー:常翔学園17-14御所実>◇7日◇決勝◇花園

 御所実(奈良)が、4大会ぶりの決勝で3点差に泣いた。常翔学園(大阪第1)を相手に堅守で接戦に持ち込んだ。お家芸のモールでフランカー立花拡聖(かくせい=3年)が2トライを奪って一時はリード。しかし終了9分前に逆転されて2度目の準優勝。竹田寛行監督(52)が89年に部員2人から始めた公立高の悲願は次回に持ち越された。

 堅守の盾が、最後に力尽きた。後半21分に逆転トライを許した。終了の笛に選手たちは号泣した。竹田監督に「なんで泣くん?

 やりきったんちゃうん?

 胸張ってええ」と声をかけられ、また涙声が重なった。

 忍んだ。前半5分までに2トライを献上。すぐに守備を修正して、狙い通りに接戦にした。奈良県のライバル天理を倒すために、お家芸となったモールで反撃。2トライの立花は「1年間やってきた自信のあるモールで取れてよかった」。攻守にわたって、持ち味は存分に発揮した。竹田監督は「最後までDFはやりきれた。僕が甘いんじゃないですかね」。悲願の日本一に届かずに自分を責めた。

 不可能とあきらめかけた道のりだ。「帰れ!」と怒鳴れば、本当に選手が帰るチームだった。89年の赴任時は部員2人。天理関係者に「そんなので花園を目指すの?」と言われた。「いつかやっつけたる、という気持ちでやっていた。結構ワルがいて自宅謹慎の生徒は練習に参加させた」。

 抜きんでたチームではなかった。90年5月に部員が頸椎(けいつい)損傷で入院。その2カ月後にこの世を去った。30歳の竹田監督は「教師もやめて、他の会社にいくことを決めていた」。だが生徒と保護者が部活存続のために嘆願書を作って校長に提出した。ある親は「バイクやたばこをしていた子どもが変わった」。ワルたちにラグビーという目標を与えたのは自分だった。「このままでは逃げられない」。半年間の活動自粛をへて復活。20年以上をかけて、強豪になった。

 堅忍不抜。チームコンセプトがそのまま部の歴史も試合ぶりも表している。「またゼロから、次頑張ります」と竹田監督。涙に暮れたスーパー1年生のWTB竹山は「2年、3年で竹田先生を日本一の監督にする」。公立高ラグビー部の夢はまだ続く。【益田一弘】