<全日本実業団対抗女子駅伝>◇19日◇岐阜長良川競技場発着(6区間=42・195キロ)
04年アテネ五輪女子マラソン金メダルの野口みずき(32=シスメックス)が無念の大失速に終わった。エース区間の3区(10・0キロ)を任されたが、本来の走りとはほど遠い出来で区間24人中20位の大ブレーキ。レース後は体調不良を訴え、感染性の腸炎の疑いで病院で治療を受けた。復帰2戦目でマラソン出場へ弾みをつけるもくろみが、次戦は白紙となった。天満屋が2時間14分35秒で初優勝した。
野口は自力で歩けなかった。区間20位に終わった3区ゴールから1時間50分後。ゴール地点に車両で到着したが、チームメートの肩を借りながら医務室に直行した。約30分の診察、治療を受けると、医務室前に大挙した報道陣を避けるように裏口から脱出。無言を貫き、タクシーで病院へ向かい、点滴などを受けた。
広瀬永和監督は「感染性の急性腸炎の疑いで39度の熱が出た。レース前までは問題なかった。どこで体調が悪くなったか分からない。レース後に体調が悪くなったのは初めて」と病状を説明した。前日18日までは変わった様子もなく野口は「9年前の(3区で渋井に抜かれ2位の)苦い思いを変えたい」と意気込んでいたが、レース当日に体調不良に襲われた。
スタートからおかしかった。13位でタスキを受けたが序盤から往年の力強いストライド走法は影を潜めた。広瀬監督も「足をかばっているように見えた」と故障を心配するほど。最初の5キロ16分40秒は区間賞の福士から1分以上も遅れた。結局、陣営の想定よりも1分半遅れの34分。18位でタスキを渡した後は泣き崩れ、中継局の取材に対し「思ったように動けなくて悔しい。みんなに申し訳ない」と言葉を絞り出した。
10月の西日本大会で2年5カ月ぶりにレース復帰を果たした時は「(12年ロンドン五輪へ)まだまだ行けるぞと思った」と答えたが、区間24人中20位という厳しい結果。広瀬監督は「次戦は今は白紙。本人と体の状態を含めて話し合う」と見通しを立てられる状況ではなかった。今のままでは五輪はおろか、07年11月以来となるマラソン出場も見えない。【広重竜太郎】