テニス界の日本人最高記録を次々と塗り替えている錦織圭(25=日清食品)。世界ランク5位にまで上昇した今年は4大大会初優勝を視野に入れる。この連載では、関係者の秘話をもとに「旅立ち」「成長」「開花」と3編に分け、世界のトップを目指す男のテニス人生を描く。**************<旅立ち1>

 錦織が松江市・乃木小2年の時だった。5歳でテニスを始めてまだ2~3年。無名のテニス好きな子供だったが、早くも彼の才能に魅入られた人がいた。今でも家族ぐるみの付き合いがあり、隣の鳥取県でテニスコーチをしている石光孝次さん(45)だった。

 96年の秋。中国地方の各県から年代別に選ばれた選手が、広島・尾道で強化合宿を行った。石光さんは鳥取の選手を引率して参加していた。そこに12歳以下で選ばれていた錦織がいた。「すごく小さくて、運動じゃなく文化系に見えた」。

 しかし、そのプレーと見かけのギャップに驚いた。「コートに絵を描くようなプレー。すごいセンスだと思った」。コートを前後、左右、上下に使った3D(3次元)テニス。前に落とすドロップショット、角度をつけたアングルショット。相手の頭上を越すロブなど、さまざまなショットを繰り出す現在のプレーの片りんが、そこにあった。

 コートの中と外でのギャップは今でも変わらない。錦織が小4の時、石光さんが錦織家に遊びに行った時のことだ。家の中で赤ちゃん言葉で駄々をこねる錦織がいた。しかし、家から1歩外に出ると、別人のように素直に振る舞った。

 小4で全国小学生選手権に初出場し、小5で初白星を挙げ8強に入った。その年の1回戦の前だった。母親の膝の上に座っていた対戦相手を見て、錦織は「あの子、子供だ。勝てる」。石光さんは「お前も家で同じじゃないか」と苦笑いをしたことを覚えている。

 小6で日本一になった。その頃から「流れをつかんだら絶対に離さなかった」。その年、石光さんは初めて錦織に負けた。1セット試合で石光さんがリードすると、少し泣きそうになった。手加減すると「流れをつかみ、最後は勝ちに行ったが勝てなかった」と述懐する。

 錦織は、石光さんを「ストーンハニー」と呼ぶという。石の「ストーン」に、字こそ違うが光(ミツ)と音が同じの「蜜」から「ハニー」だ。出会って20年弱だが「基本のテニスや素顔は変わらない。本当にすごいやつでした」。まだ留学は影も形もなく、米国へ旅立つ前の話だ。(つづく)