日本代表選手の「こだわり」に迫るシリーズ第4回は、SH田中史朗(33=パナソニック)。13年に日本人で初めて世界最高峰リーグ、スーパーラグビーのピッチに立った先駆者は試合の流れを見た「状況判断」を追求する。成長を後押しした出会いと、世界で戦い続けてきた経験が、田中独自の武器をつくりあげた。

   ◇  ◇  ◇   

名門伏見工に入った田中は、毎晩深夜2時までテレビの前にくぎ付けになっていた。国際リーグ「スーパー12」(現在のスーパーラグビー)などの試合映像を1日、2試合。卓越した技術が織りなす世界最高峰のラグビーに目を凝らした。花園予選で敗退した2年時からは、その見方も進化。最初は同じSHの選手のプレーに集中し、自分ならどうするかを考える。次は客観的にゲーム全体を見る。その2つの目線を意識した膨大な時間が、現在のプレーにつながる大きな気付きを与えてくれた。

「ラグビーの本質は陣取りであり、数的ゲーム。4対3の局面をつくれれば、1個ずつ引いていけば1余る。そう考えれば、難しいものではない」。試合全体をシンプルに捉えることで、密集からボールを出すSHとして自身の仕事も明確になった。「15人でフィールド全体は守れない。必ずどこかが空く。そのスペースをいかに瞬時に見抜けるかが重要だと思っている」。

13年に日本人で初めてスーパーラグビーのピッチに立った先駆者のこだわりは、局面での「判断」。試合時間は? エリアは? 互いの疲労度は? さまざまな要素とゲーム展開を考慮し、時に試合のペースを一気に上げ、時に相手のイライラを誘うように落とす。同じ日本代表のSH流が「フミさんはゲームの緩急をつけるのがうまい」と見上げるその技術は、世界からも高い評価を受けてきた。

166センチ。飛び抜けて足が速いわけでも、体が強いわけでもない。だが、歴代代表指揮官の絶大な信頼のもと、長く桜のジャージーの“9番”を背負ってきた。大学時代、「ただ球をポンポン出すだけの選手」(田中)が飛躍のきっかけをつかんだのは、07年に入った三洋電機でコンビを組んだ元ニュージーランド代表SOトニー・ブラウン氏(43=現日本代表アタックコーチ)との出会いだった。

同氏は、意図のないプレーを許さず、失敗すれば何度も怒鳴られた。求められたのは1つのパスにも徹底的にこだわるプロ意識。「教わったのは、自分以外の14人をいかにうまく使うか。自分が良いプレーをするのではなく、周りに良いプレーをさせる。足の速い選手、体の強い選手を、どう生かしてチームを前に出すかを考えるようになった」。SHとして必要なことと、不必要なこと。無駄をそぎ落とすように、試合中の冷静な“目”を養った。

母国開催のワールドカップ(W杯)まで1年を切った。「同点で迎えた残り1プレー、勝てば史上初の8強」-。そんな究極の場面でも、判断が鈍ることがないよう、今季は練習での意識も変えた。「僕のポジションに感情の起伏はいらない。だから、『このパスを失敗すれば代表に残れない』『この攻撃でミスすればW杯で負ける』と練習で自分にプレッシャーをかけるようにした。波風を立てずに判断する能力をさらに追求していきたい」。

常々、言う。「日本の子どもたちに、ラグビーの楽しさをもっと知ってほしい」。だからこそ、自身3度目のW杯で勝ちたい。小さな闘将は、貪欲に、だが冷静に、勝利につながる道を探し続ける。【奥山将志】

日本代表SH田中史朗
日本代表SH田中史朗