パナソニックの練習で声を張るバル・アサエリ愛(撮影・峯岸佑樹)
パナソニックの練習で声を張るバル・アサエリ愛(撮影・峯岸佑樹)

日本代表の「外国出身選手の物語」第2回は、プロップのバル・アサエリ愛(29=パナソニック)。トンガ出身で経済的に家族を支えるために15歳で来日。NO8からプロップに転向して2年で代表入りした“逸材”は、桜ジャージーの重みをかみしめて、初のW杯(ワールドカップ)出場を狙う。

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来日して14年-。バルは、ここ2年で急成長を遂げた。187センチ、116キロの巨体で、得意のボールキャリー(保持)とスクラムやタックルなどで体を張り続ける。流ちょうな日本語でコミュニケーションを図り、チームを献身的に支える。バルは「日本に来て人生が変わった。活躍することで家族が幸せになれる。本当に感謝しかない」と感慨深げに語った。

元トンガ代表の父を持ち、5人兄姉の末っ子。12歳で競技を始め、トンガの中学校で寮生活を送った。特に食事面で苦労し、毎日タロイモ中心の同じメニューで、量が足りず空腹の日々が続いた。購買で小遣いの2パアンガ(約100円)を使い、パン1個を仲間に隠れて食べるのが至福の時だった。ニュージーランド留学を希望していた高校進学時、経済的理由を考慮した父の勧めで、埼玉・正智深谷高へ入学。言葉や文化など何も知らない状態で来日し、大型FWとして2度の全国高校大会出場に貢献した。埼玉工大時代のオフには、深谷市の白菜農家でのアルバイトで月20万円を稼いだ。大半を実家へ仕送りし、両親に泣きながら感謝された。「もっと強くなってラグビーで家族を助けたい」。この頃から代表への思いが芽生えてきた。

大学時代、白菜農家でバイトするバル・アサエリ愛
大学時代、白菜農家でバイトするバル・アサエリ愛

転機は14年。パナソニック2年目で名将ロビー・ディーンズ監督から「プロップに転向すれば日本代表も狙える」と言われた。トンガ代表との迷いもあったが、トップ選手が各国のクラブチームに属し、W杯直前にならないと集まらない事情もあり、日本代表を目指すことを決意した。それまで突破力が強みのNO8だったが、15年11月に転向。体重は12キロ増加させ、「動けるプロップ」として2年で代表まで上り詰めた。「日本(世界ランキング11位)のレベルやラグビーへの愛情はトンガ(同14位)よりも間違いなく上。強い気持ちを持つ国で戦うことは当然。僕が『桜ジャージーを着る』という思いは日本人選手にも負けない」。代表への思いは、出身国に関係なく強く、深い。

4月には妻愛里さんと結婚して6年目を迎える。日本国籍を取得した時、名前の「アサエリ」に妻の名前と初めて覚えた漢字の「愛」を一文字加えた。8カ月後に迫るW杯日本大会は、決意と覚悟を持って臨む。「このチャンスを必ず勝ち取って、目標のベスト8入りする。両親には日本の歴史を変える瞬間を会場で見てもらいたい」。愛くるしい瞳を輝かせた29歳は、ラグビー愛と家族愛に満ちていた。【峯岸佑樹】

◆バル・アサエリ愛 1989年5月7日、トンガ生まれ。15歳で来日。正智深谷高-埼玉工大-パナソニック。17年11月のオーストラリア戦で代表デビュー。代表キャップ5。特技は散髪。趣味は温泉。好きな言葉はLOVE。家族は妻、2男、1女。187センチ、116キロ。血液型O。

パナソニックの練習で軽快な動きをするバル・アサエリ愛(中央)(撮影・峯岸佑樹)
パナソニックの練習で軽快な動きをするバル・アサエリ愛(中央)(撮影・峯岸佑樹)