日本代表の「外国出身選手の物語」第4回は、ロックのヘル・ウベ(28=ヤマハ発動機)。トンガ出身で、1度はラグビー以外の道を目指したが、ニュージーランド(NZ)留学を経て来日した。日本人妻との結婚を機にプレーヤーとしても一人前に成長した。2人の子どものため、妻のために、日本を背負い体を張る。
ヘルは16年11月、アルゼンチン戦で初キャップをつかんだ。直前の代表合宿に追加招集され、いきなりスタメンで出場した。所属先の清宮監督から「トップリーグ屈指のボールキャリアー」と評される突進力を武器に、代表定着を狙っている。ヘルは「代表に入り、うれしかった。追加招集だったので、いきなりのスタメンは驚きました。子どもたちが誇れる父であるために、ワールドカップ(W杯)に出たいです」と父の顔を見せた。
ラグビー選手だった父を周囲の人から「すごい選手だ」と褒められるのがうれしくて、5歳から自然と競技を始めた。2人の兄と違う道に進むことを考え、教員を目指して中学は進学校に通い、1度は競技から身を引いた。高校で助っ人を頼まれて試合に出場すると、NZのスカウトの目に留まり、セントトーマスカンタベリー高に留学した。高校卒業後、NZで大学進学、オーストラリアで13人制のラグビークラブに所属するかで悩んだが、拓大進学を選択。「知り合いが誰もいない日本で生きる力を身に付けたかった」と振り返った。
拓大では初の外国人主将に就いた。のちに妻となる貴子さんに出会った。14年、ヤマハ発動機入社後すぐに首のけがを負うと、心配した貴子さんが東京から看病のために静岡・磐田市まで何度も通ってくれた。その姿にひかれ、16年7月にプロポーズした。
守るべき存在ができ、意識が変わった。食生活を見直し、スナック菓子や甘味を絶ち、飲酒もやめた。入社後2年間はリーグ戦でわずか6試合の出場だったが、この年は全試合に出場。日本代表にも初選出され、同年11月に婚姻届を出した。「妻はラグビーを知らないですが、いろいろ言ってくれて、気付かせてくれて、助けてもらいます」と感謝した。
17年6月に第1子の長男勇太郎くん、18年5月に長女瑛衣未(えいみ)ちゃんが誕生した。「子供ができ、さらに責任を感じた。モチベーションが上がって、もっといい選手になりたいと思いました」。
15年のW杯イングランド大会を見て代表に憧れを持った。当時は考えられなかったが、W杯出場のチャンスが目の前にある。「私のホームの静岡でやるアイルランド戦は出たいので、もっと力をつけたい」。家族のため、日本のためにボールを前に運び続ける。【大野祥一】
◆ヘル・ウベ 1990年7月12日生まれ、トンガ出身。セントトーマスカンタベリー高-拓大。14年からヤマハ発動機でプレー。16年8月に日本国籍を取得。同11月のアルゼンチン戦で代表デビュー。代表キャップ数11。趣味はゴルフ、子どもと遊ぶこと、好きな食べ物は鶏肉の唐揚げ。家族は妻と1男1女。193センチ、113キロ。
◆代表でのプレー資格 現在の条件は<1>当該国・地域で出生している<2>両親、祖父母の1人が当該国・地域で生まれている<3>36カ月継続か通算10年にわたり当該国・地域に居住している。継続居住期間については20年12月31日以降、36カ月から60カ月に延長される。