3つの「世界一」で、再び世界を驚かせる。ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会は20日で開幕まで半年を迎えた。フランカーのリーチ・マイケル主将(30=東芝)が日刊スポーツのインタビューに応じ、日本代表が残り6カ月で追求する3つのポイントを挙げた。自身3度目のW杯に向け、背負い続けてきた桜のジャージーへの思い、2大会連続となる主将としての決意を語った。【取材・構成=奥山将志】
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ロシアとの開幕戦まで半年。カウントダウンが進む中、リーチの表情に焦りの色はない。昨年末から2月上旬まで、キャリア初の6週間の長期オフを取り、みなぎる熱が心身に戻った。サンウルブズ、日本代表としてのテストマッチと続く本格的なシーズンインを前に、静かに思いを語った。
リーチ ニュージーランドで迎えた年越しのタイミングで、1人でW杯のことを考えた。理想のチームとは何か。どうやればみんなでまとまれるのか、どうやって成長していくのか。イメージは固まった。すっきりして日本に帰ってきた。
まずは、いかに戦うか-。16年はウェールズを3点差まで追い詰め、17年はフランスと引き分け。昨年11月には敵地でイングランドを苦しめるなど、日本代表は強豪との対戦の中で成長を続けてきた。「確実に強くなっている」。主将として確かな手応えがあるからこそ、足りないものも明確だ。追い求めるのは3つの「世界一」。そこに勝利の鍵があると考えている。
リーチ W杯で戦うためには、日本がどことやっても絶対に負けないと思える武器が必要。1つは、トランジション(攻守の切り替え)のスピード。これは、体格で劣る日本が絶対に世界一にしないといけないポイントで、残り半年の最大のテーマ。単にナンバーワンを目指すだけでなく、ナンバー2とも大きな差をつけなくてはいけない。
切り替えのスピードの必要性を痛感したのは、昨年11月、31-69で大敗したニュージーランド戦だった。
リーチ トップチームが相手だと2、3歩の遅れで間に合わない。トップリーグなら痛くない差でも、オールブラックスには60点取られる。大切なのは次の展開を予測すること。ボールが落ちる前に動く速さが必要。鍛えるのは、頭。どれだけ走っても、頭で「動こう」とならないと絶対に速くならない。ただ、あの試合で全員の意識が変わった。理想を100とするなら、今は85くらい。残り15を埋めるために、半年間徹底的にこだわっていきたい。
2つ目の「世界一」はフィットネス。消耗戦で「差」をつけることが、日本の得点に直結するという。
リーチ ボールインプレー(プレーが途切れずに続いた状態)の時間は40分以上を目指しており、それに耐えられる体力が必要。まだ少ない。30分(が限界)のチームを相手に自分たちが40分動ければ、相手がバテた10分間に日本がスコアできる。これも、理想が100とすれば、まだ80。16年から数値は確実に伸びてきているし、十分、100までもっていける。
3つ目は「自信がある」と語る、日本人の我慢強さ、そして精神力だ。
リーチ 極限状態での日本のメンタルは本当に強い。同じランニングマシンをライバルと一緒に走れば、日本の23人は絶対に相手より走る。相手が倒れるまで絶対に倒れない。試合開始と同時にそのメンタルを持てるかが鍵になる。その土台の上に、世界一のトランジションスピード、フィットネスを乗せることが勝ち上がるためには必要だ。
残り半年-。磨き上げるべき戦術と同時に、もう1つのテーマとなるのが、戦う集団となるためのチーム作りだ。
リーチ 15年W杯のチームは、張り詰めて張り詰めて、ぱんぱんの状態で戦った。ただ、今回はもう少し、どこか柔らかさのあるチームにしたい。ラグビーはみんなで真剣に固まって、「よし、やるぞ!」となるスポーツだが、若い選手も増えてきて、それが少しずつ変わってきている。
多くの経験を重ねてきたリーチの目には、歴史的3勝を挙げた15年大会とは違うチーム像が見えている。
リーチ みんなが気持ちを高めすぎると、最初の10~20分がうまくいかない試合が多かった。だが、試合を楽しもうとすれば、スムーズに良いプレーができる。1つの例は(お笑い芸人の)スリムクラブがミーティングに来てくれた6月のジョージア戦。みんなで大爆笑して、試合も良かった。若い選手は楽しくやった方が、ラグビーが上手。集中しすぎると、苦しくなってミスも出る。もちろん15年の土台があるからこそ、今の変化にも対応できる。
大切にしている言葉は「神に誓うな、己に誓え」-。闘争心と、責任感を背負い、チームのために体を張り続ける。“己”の心は、もちろん固まっている。
リーチ W杯で勝つためには、キャプテンが一番強くならないといけない。もう1度、日本の強さを世界に見せつけたい。小さいチームが大きなチームを倒す姿を見せたい。
◆リーチ・マイケル 1988年10月7日、ニュージーランド・クライストチャーチ生まれ。15歳で札幌山の手高への留学で来日し、東海大を経て東芝。08年11月の米国戦で日本代表デビューし、W杯には11年から2大会連続出場。13年に日本国籍を取得し、15年大会は主将を務めた。代表59キャップ。家族は妻と1女。190センチ、110キロ。