27日に25歳となったフランカー姫野和樹(トヨタ自動車)は、愛知・春日丘高(現中部大春日丘)1年時からNO8で同校の花園初出場に貢献した。187センチ、108キロの体格を生かすスケールの大きいプレーは、宮地真監督(53)の指導で育まれた。
スタンドに座る宮地の元へ、身長185センチほどある中3が歩み寄ってきた。「春日丘高校の先生ですよね? 僕、春日丘を受けたいんですけれど…」。09年10月のやりとりを、恩師は鮮明に覚えている。「僕は春からずっと見ていた。飛び抜けすぎていて、みんなタックルに来なかった。姫野がうちのラグビーを見ていてくれたことは、すごくうれしかったです」。当時、花園出場なし。愛知2番手から殻を破る間近だった。
県内には全国制覇の経験がある西陵(前西陵商)が、強力モールを武器に君臨。ラグビー経験のない宮地は「同じことをしていても勝てない。常識を壊す」と徹底的に逆をいった。1年からNO8のレギュラーをつかんだ姫野には「仕事は先輩がする。どこにおったら自分がゲイン(前進)できるかを考えてみ。『2回に1回』じゃなくていいから、『5回に1回』のチャンスを狙ってみ」と伝えた。
姫野のコンタクトが強すぎるため、生身同士のタックル練習が消えた。その理由を宮地は「ケガをするから。姫野も100%でやりづらいし、中途半端になる。そもそも(防御側は)3人いかないと止まらない。姫野にしても、3人待ちかまえているところに突っ込むのは、単なる当たり屋で意味がない。試合でそんなことしない」と説明する。相手キック時にはFBに“変身”し「キックも60メートルぐらい飛んだ。だから姫野が捕って、いけるならカウンター。ダメならキックすればいい」と自由を与えた。
1年時に花園初出場を果たすと、1回戦で尾道(広島)に同点抽選負け。2年時は尾道と2年連続抽選の珍事で2回戦進出を果たし、そこでは強豪桐蔭学園(神奈川)に10-23と健闘した。3年時は愛知県予選準決勝で敗れたが、姫野は今も「先生がおっしゃる通り自由にやらせてもらって、ラグビーの楽しさをただただ学ばせてもらいました。『ラグビーをやりたい』『ラグビーが大好き』という気持ちにさせてもらった」と高校の指導に感謝する。
自らウエートトレーニングにも励み、3年で高校日本代表を飛び越え、将来の日本代表候補が集う「ジュニアジャパン」にも選出された。「ベンチプレスは135キロとか。代表から帰ってきたら、自分でマーカーを置いて、その練習をする」。そう褒め続けた宮地は「チームに対しての鼓舞はなかったかな」と笑った。のちにトヨタ自動車1年目から主将を務めた男は、進学先の帝京大で周囲を意識し始めた。姫野は「大学では人として、子どもから大人になりました」と述懐した。
目前に迫ったワールドカップ。宮地は「重圧を楽しんでほしい。彼にとっては次(23年)も大事。1回の客寄せパンダじゃなく、ラグビー人気につなげていくのも大切な仕事になる」と口にした。あの頃と同じ柔和な表情で、ビッグな活躍を祈っている。(敬称略)【松本航】