今週は日本ラグビー界とトンガの関係を深掘りする。高校、大学において留学生が大活躍。トップリーグや日本代表にも多いトンガ出身選手はなぜ、日本を選ぶのか。8月3日のパシフィック・ネーションズ杯トンガ戦(大阪・花園ラグビー場)に向けた5回連載の第1回は、両国の「今」を特集。日本代表バル・アサエリ愛(30=パナソニック)、中島イシレリ(30=神戸製鋼)のプロップコンビの証言から接点に迫った。
短く刈った髪形とどっしりとした体つきがうり二つ。いつも行動をともにする2人は、笑みを浮かべながら留学前の日本の印象を語った。
中島 最初は中国の中にあると思っていた。別の島とは知らなかったよ。
バル 僕も日本は知らなかった。どんな国だろうって。
母国トンガを離れて10年以上。今では流ちょうな日本語で会話をする。
日本から南に約8000キロ離れた南太平洋に、常夏の島トンガはある。長崎・対馬とほぼ同じ大きさで、人口は約10万人。主食はイモや海産物。子どもたちの娯楽はラグビーで、丸い形の物があればボールに見立てて広場で遊ぶ。そんな国から、日本の高校、大学のスカウトの目に留まった多くの選手が、毎年のように留学を果たしている。彼らはどのような思いで日本でプレーしているのか-。
当初は2人とも、日本への関心は薄かった。バルは「最初はトンガ代表になりたかった」と当時を振り返る。しかし埼玉・正智深谷高からスカウトを受けた時、元トンガ代表の父から「日本に行った方がいい」と勧められた。大学卒業後に帰国する予定だったが、13年にパナソニックとプロ契約を結び、思いは少しずつ変わっていった。「トンガに戻っても何もないし、日本の方がレベルも上。強くなりたいから日本を選んだ」と話す。
祖父が元トンガ代表の中島も、ニュージーランドへの留学を希望していたが、流通経大からのスカウトをきっかけに日本へ。12年にNEC入りしてから、バル同様に気持ちが変わった。日本には高いレベルでプレーできるトップリーグがあり、また「お金が稼げる。ファミリーをサポートできる」と経済的安定も大きかった。2人とも日本人の妻を持ち、日本国籍も取得。中島はこの時、姓をバカウタから妻の姓に変えた。日本で生活し、日本人の勤勉さ、ラグビーの情熱に触れ、「JAPAN」への憧れも持つようになった。18年に中島が初めて日本代表になった時、妻は涙を流して喜んだ。だから2人は「日本代表でワールドカップ(W杯)に出たい」と口をそろえる。
2人は実は、U-15トンガ代表のチームメートだった。バルはその後日本へ留学。音信不通となったが、流通経大に留学した中島が長野・菅平で夏合宿を行っていると、埼玉工大のバルと偶然出会った。運命的な再会を果たした2人は今、両プロップとして日本のスクラムの支柱になろうとしている。中島が「1番と3番で出てW杯でトンガと戦いたい」と言えば、バルも「W杯で2人でスクラムを組みたい」と力を込める。
日本代表として戦いながらも、母国への思いも背負う。「トンガ人が日本代表として頑張っているのを見せたい」と中島。日本代表を通してトンガ人の底力を世界に示すのと同時に、遠く離れた母国の国民に頑張る自分の存在を届けたい。
では何がきっかけで、留学生が来るようになったのか。その起源をたどると、「そろばん」の存在があった。【佐々木隆史】(つづく)
◆代表でのプレー資格 現在の条件は(1)当該国・地域で出生している(2)両親、祖父母の1人が当該国・地域で生まれている(3)36カ月継続か通算10年にわたり当該国・地域に居住している。継続居住期間については20年12月31日以降、36カ月から60カ月に延長される。
◆バル・アサエリ愛(あい)1989年5月7日、トンガ生まれ。15歳で来日。正智深谷高-埼玉工大-パナソニック。17年11月のオーストラリア戦で代表デビュー。代表キャップ6。特技は散髪。好きな言葉はLOVE。家族は妻、2男1女。187センチ、115キロ。
◆中島(なかじま)イシレリ 1989年7月9日、トンガ生まれ。15歳からラグビーを始めて18歳で来日。流通経大-NEC-神戸製鋼。18年11月のニュージーランド戦で代表デビュー。代表キャップ2。趣味は温泉。好きな食べ物はおでん。家族は妻、1男。186センチ、120キロ。
◆トンガ 正式名称はトンガ王国。1970年に英国から独立。南太平洋に浮かぶ約170の島群からなる国家で面積は720平方キロメートル。人口約11万人。首都はヌクアロファ。ポリネシア系の民族で、トンガ語と英語が公用語。立憲君主制で現国王はトゥポウ6世。主要輸出品はカボチャ、魚類、バニラ。通貨はパアンガ。