日本代表の外国出身選手を特集する第2回は、CTBウィリアム・トゥポウ(29=コカ・コーラ)。身長188センチの長身を生かし、FBでも存在感を発揮している。ニュージーランド生まれ、オーストラリア育ちの男は、ワールドカップ(W杯)日本大会で両親に恩返しする。
日本から南へ約7000キロ。オーストラリア・ブリスベーンに住む両親を、トゥポウは片時も忘れたことがない。両腕には父カプネティさん、母ソシアナさんのタトゥー。プロになった18歳で刻むと、すぐに両親から「体を傷つけやがって」と怒られた。それでも4人きょうだいの長男は「両親が僕に投資をしてくれた。『いい選手になれるように』という愛情を感じていた」と常に感謝を口にする。
ニュージーランドのオークランドで生まれ、2歳からはブリスベーン。父はトンガ出身で、2度の移住を経験している。カプネティさんはオークランドの州代表だったが、用具にかかる経費をまかなえず、22歳でプロの夢を諦めた。幼少期、トゥポウは父の友人から「すごいハードタックラーで、いい選手だった」と聞いたことがある。オーストラリアの菓子「ティムタム」を製造する会社の倉庫で、フォークリフトの指導員をする父の思いを背負い、10歳からラグビーを始めた。
楕円(だえん)球を追い、友達ができると自然にのめり込んだ。高校卒業から4年間は13人制のラグビーリーグでプレー。体をぶつけ合う際の技術や、タックルされながらのパスを磨いた。12年からは当時スーパーラグビーの「フォース」で活躍。日野自動車(現日野)からの誘いを受けると「いろいろな世界を見てみたい」と決断し、14年に初めて日本の地を踏んだ。
来日当初は代表への意識はなかった。日野は首脳陣からの縛りが少なく「解放感にやりがいを感じていた」。16年には福岡が本拠地のコカ・コーラへ移り、すしと相撲の印象だった日本がどんどん好きになった。
来日から3年。代表資格を取得し、17年に日本代表から声がかかった。一方でフォースに在籍した13年には、強豪オーストラリア代表に招集された過去があった。その際は合宿2週間前のケガで断念。オーストラリア代表を目指す道もあったが、その可能性を絶ち、迷わず日本代表を選んだ。
「すごく興奮し、光栄だった。もし(両国代表を)選べる立場だったとしても、日本でやっているラグビーが楽しく、充実しているので、日本を選ぶと思う」
19歳でオーストラリア人のジャズミンさんと結婚し、今は2人の息子と日本で暮らす。代表活動中は朝、昼、晩と3度の連絡を欠かさず「自分を常にポジティブにさせるために、彼女が必要」と妻への感謝も尽きない。プロ入りした18歳から4年間の貯金で、ブリスベーンに住む両親には家を贈った。大切な父が「すごいチャンス」と期待を寄せる舞台まで、残すは1カ月。
「W杯に出られたら、ぜひ見にきてほしい。『これだけ日本代表が強くなったんだ』ということを、世界に知らせたいと思う」。家族、そして日本中を喜ばせたい。周囲の情熱が原動力に変わる。【松本航】
◆ウィリアム・トゥポウ 1990年7月20日、ニュージーランド・オークランド生まれ。2歳でオーストラリアに移住し、10歳でラグビーを始める。ブリスベーンステート高を卒業し、13人制のカウボーイズに4年間在籍。15人制のフォースを経て、14年から日野。16年にコカ・コーラへ移籍し、17年6月のアイルランド戦で日本代表デビュー。家族は夫人と2男。188センチ、101キロ。