【阪神】大山悠輔FA残留の舞台裏 倒れた男性を介抱した夜、4番は虎党との絆を再認識していた

  • 阪神残留会見を行う大山(撮影・前岡正明)
  • 笑顔で阪神残留会見を行う大山(撮影・前岡正明)
  • 阪神残留会見を行う大山(撮影・前岡正明)
  • 阪神残留会見を行う大山(撮影・前岡正明)

国内フリーエージェント(FA)権を行使していた阪神大山悠輔内野手(29)が29日、残留を決断した。獲得に乗り出した巨人と前代未聞のTG争奪戦となっていたが、悩み抜いた末に甲子園で戦い続ける決意を固めた。この日のうちに両球団への報告を済ませ、阪神球団が発表した。5年17億円プラス出来高で契約する。(金額は推定)

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なぜ、大山は阪神残留を選択したのか。「ファン感謝デーのスタンドで、本当に多くの方々に僕の赤いタオルを広げてもらってすごくうれしかった。その赤いタオルをもっともっと増やしたいなと素直に思った」。主砲の言葉が耳に飛び込んできた瞬間、今春のエピソードを思い返した。

それは4月中旬の甲子園だった。試合後の深夜、いつものように球場出口から側道に曲がると、1人の男性が倒れていた。慌てて車を飛び降り、介抱に向かった。体調を崩したのか、酔っぱらったのか。「大丈夫ですか?」。必死で声をかけていると、駆けつけた数人から逆に心配された。

「ここは僕たちでなんとかします。大山さんは帰って休んでください。明日からも頑張ってください!」

どれだけファンの優しさに支えられているのか、大山はその時、あらためて身に染みたのだという。

「あの時にかけてもらった気遣いが本当にうれしくて…。その日以来、その方々は僕が甲子園から帰る時、必ず同じ場所で待ってくれている。だからいつも軽く会釈していたんです」

今季の大山は特にシーズン序盤、下半身のコンディション不良に端を発した絶不調に苦しんだ。打率が1割9分9厘まで落ち込んでいた6月4日の楽天戦(甲子園)では連続試合出場が227でストップ。試合終了後に2軍降格を告げられた夜、真っ先に再起を誓った相手は名前すら知らない“仲間”たちだった。

甲子園駐車場を出て側道へ。ズラリと並ぶ阪神ファンの中からなじみの顔を見つけると、車を一時停止させた。パワーウインドーを下ろし、懸命に言葉を振り絞った。「早く戻ってこられるように頑張ります」。名もなき虎党たちとのかけ合いはいつしか、主砲の心の支えとなっていた。

白鴎大4年時の16年秋、ノーマークの中で阪神からドラフト1位指名された。その瞬間、会場から響き渡った後ろ向きな反応は「一生、忘れることはない」。一方でプロ入り後の8年間、聖地で振られる赤色の大山タオルに励まされた記憶はもう数え切れない。

FA宣言後は心の底から悩み抜いた。条件だけを見比べれば、巨人が阪神を上回っていた。それでも大山は最後、縦じまを選んだ。悲劇のドラフトから8年。虎の4番打者と阪神ファンは長い年月をかけて、いつの間にか強固な絆で結ばれていたのだ。【07~13年、15~18年阪神担当、野球デスク=佐井陽介】

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