ガッツポーズする鹿島DF植田(左)とGK櫛引(撮影・足立雅史)
ガッツポーズする鹿島DF植田(左)とGK櫛引(撮影・足立雅史)

<手倉森JAPANリオで金託された18人(1)>

 リオ五輪に出場する男子サッカー日本代表メンバーが決まった。金メダルを目指す18人の特長や横顔を紹介する連載「リオで金 手倉森ジャパン~託された18人~」をスタート。第1回は「血を流すこと」を目標に掲げるDF植田直通(21=鹿島)。顔面を計69針も縫っている恐れ知らずが夢舞台に殴り込みをかける。

 高校1年の時、U-16代表に初招集された植田は頭に包帯を巻いて現れた。事故で右目の上を10針、縫っていた。当時の菊原コーチが尋ねると、こう言った。

 「自転車で通学中、部活の怖い先輩が目に入って。隠れようとしたら段差に乗り上げて、壁にぶつかりそうになった。その時、ひらめいたんです。『1回いってみよう!』。逆に加速して体当たりしました」

 真剣に説明する姿に、菊原氏は「普通じゃない」と面白がった。試合にも強行出場。縫合直後だったが、恐れることなく頭から飛び込み、合宿で将来の夢を書かせると「血を流すこと」と返ってきた。その達成方法欄には「ビビらない」。同氏は「根っからの闘う姿勢を感じた」と振り返る。

 これを皮切りに、植田の顔面には69針もの手術痕が残る。同じく高校時代、体育祭のサッカーで左眉の上を切った。メガネをかけた同級生が突っ込んで来た際、よけずに受け止めた。割れたレンズで切り、体育服は血まみれ。それでもプレーを続け「痛くなかったのに、同級生にドン引きされた覚えはある」と植田。あまりの出血量に、同じクラスだった岡山MF豊川が保健室へ連れていくと、40針も縫う必要がある裂傷だった。

 格闘技好きで、血を見ると燃える。小学校の時にテコンドーで日本一、世界3位になった武闘派に恐怖心は「全くない」という。プロ入り後も傷は絶えない。15年5月の甲府戦では歯が唇の右上を貫通。「バレて交代にならないよう、審判に顔の左側を向けた」ものの、鮮血が目立ちすぎて交代。ロッカールームで鏡を見ると「唇が裂け、ベロンと垂れ下がってました」。10針にも、思わずニヤついた。「結構いったなぁ」。

 最後に縫ったのは今年5月、U-23代表のガーナA代表戦。相手の肘が右目の上に入った。テーピングで応急処置して完封に貢献。9針も「被災された方々に比べたら、けがのうちに入らない」。前月、震災に襲われた故郷熊本への慈善試合で、痛がる姿など見せられなかった。最終ラインの要となる五輪では「みんなが笑顔になれるよう、闘う姿を見せたい」。復興への思いも胸に、金メダル獲得に心血を注ぐ。【木下淳】

 ◆植田直通(うえだ・なおみち)1994年(平6)10月24日、熊本県宇土市生まれ。緑川小6年までテコンドーとサッカーを掛け持ち。大津高1年の時にFWからセンターバックに転向し、2年時の11年にU-17W杯8強。Jリーグ10クラブ争奪戦の末、13年に鹿島入り。J1通算47試合1得点。手倉森ジャパンではチーム最多の国際試合35戦中32戦に出場。家族は両親と姉、妹。利き足は右。186センチ、76キロ。血液型A。