- 6月7日、キリン杯のボスニア・ヘルツェゴビナ戦でドリブルする遠藤
<手倉森JAPANリオで金託された18人(2)>
5月25日、アジア・チャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦でFCソウルに敗れた後の宿舎。浦和MF遠藤航(23)は、PK戦で最後にキックを外したMF駒井の部屋にいた。
簡単にかけられる言葉はない。沈黙が続く。それでも遠藤はそばにいた。日付が変わり、駒井が落ち着いたのを見届けると、自室に戻った。急に自責の念が募る。実は遠藤自身も、前半に横パスをさらわれ、失点を招いていた。明け方になっても眠れなかった。
それほど悔しくても、まずは周囲に配慮する。そんなキャプテンシーは、少年時代から培われていた。遠藤には11歳下の妹がいる。小学校のころから、両親を手伝って面倒をみていた。
おむつの替え時か。ミルクがほしいのか。体を動かしたい盛りだったが、小さな妹の様子を注意深く観察し続けた。MF柏木が「90分間集中するとか簡単に言うけど、ホンマにできるんは航くらい」と評するスタイルは、こんなところにもルーツがあった。
湘南在籍当時。ユース時代から慕うDF古林(現名古屋)に子供が生まれた。ケガでスタンド観戦していた先輩のため、遠藤は得点後に揺り籠ダンスをしようと周囲に呼び掛けた。
得点が決まった。ダンスをするため、ベンチ前に選手が集まりだした。しかし遠藤は周囲も気づかぬ間に、集団を離れセンターサークル敵陣側に立っていた。
他の全員が自陣にいた。相手にキックオフを許し、ピンチになるところだった。曹貴裁監督は「あいつが一番ダンスをしたかったろうに」と激賞したという。
指揮官は18歳の遠藤にPKキッカーも任せた。「大事なのはPKの技術以上に、外した時も冷静さを失わず、すぐにチームのために動けるかどうか。だから航に蹴らせる」。いい時も悪い時も、決して取り乱さず、冷静に戦局を見極める。主将は世界の舞台でも、変わらぬリーダーシップをみせるだろう。【塩畑大輔】
◆遠藤航(えんどう・わたる)1993年(平5)2月9日、神奈川県生まれ。横浜市立南戸塚中のサッカー部から湘南ユースに進み、10年に2種登録でJリーグデビュー。11年にトップ昇格。19歳で主将も務めた。16年から浦和でプレー。09年のU-16(16歳以下)日本代表から各年代の代表に名を連ね、14年の手倉森ジャパン立ち上げ直後から主力として活躍する。家族は夫人と2男1女。178センチ、75キロ。血液型O。