<手倉森JAPANリオで金託された18人(10)>

U-23日本代表の岩波拓也
U-23日本代表の岩波拓也

 父子の夢は実を結んだ。五輪代表の神戸DF岩波拓也(22)は、幼少時代から父幸二さん(45)の厳しい特訓が日課だった。五輪連載「リオで金託された18人」の10回目。サッカー版「巨人の星」のような猛練習でプロ入りの目標を達成。神戸からクラブ史上初となる五輪メンバー入りを果たした努力の物語を紹介する。

 10年前の暑い夏の日だった。神戸に泣きながら公園を走る小学生がいた。たった1人の走り込みは10周、20周と続く。全身汗だく。フラフラになっても足を止めない。岩波の父幸二さんは、当時をこう振り返る。

 「小学校の時のチームは親が口を出してはダメやったんです。だから息子には試合中、常に『お父さんの顔を見ろ』と伝えていた。ダメなプレーをして、私が指を1本立てたら10本走る。3本なら30本。帰りに広い公園を見つけて走らせる。泣きながら走るから、周りの人から『やめさせて!』とお叱りを受けたこともあります」

岩波が小学時代に書いた卒業文集
岩波が小学時代に書いた卒業文集

 父の夢は息子に託された。幸二さんは八代学院高(現神戸国際高)時代、MFとしてインターハイに出場。だが3年夏にサッカー部を退部した。「続けていたら(高校)選手権にも行けたでしょうね。悔いが残っているんです」。父は他の子より頭ひとつ大きかった次男の拓也がサッカーをやると決めた日から、とことん夢を追い続けさせようと決めた。夕方、会社から帰宅すると、近所の公園の看板に水風船を付けた。遠くからボールを蹴らせ、全て割れるまで終わらない。真っ暗になってもボールを蹴る音が響いた。

 「ヘディングもよくやらせた。私がボールを投げて、おでこに当てる。何度もやるから頭から血が出てきた。痛くて泣くのは、しょっちゅうでした。これ以上やったら、サッカーが嫌いになるギリギリのところまでやらせた」

 朝は6時から2人で特訓。放課後、チーム練習から帰っても、夜中までボールを追った。毎日やっても、音を上げたことはない。

 「私に怒られても怒られても努力をしてきた。今でも家に帰ってきたら『ボールを蹴ろう!』って言います。五輪では必死に戦う姿を見せてほしい。彼の目標は日本代表ですから」

 厳しさの中にある深い愛情。リオ五輪から18年W杯ロシア大会へ。父子の努力は、これからも続く。【益子浩一】

 ◆岩波拓也(いわなみ・たくや)1994年(平6)6月18日、神戸市生まれ。小学時代は須磨ナイスSC、神戸FCに所属し、中学から神戸ジュニアユース入り。ユース時代の11年に2種登録選手としてトップ昇格。U-15(15歳以下)から各世代の日本代表。11年にはU-17W杯メキシコ大会に出場し8強進出に貢献。昨年5月に日本代表候補入り。186センチ、72キロ。